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原点を省みる

ドラえもんの映画を見た後、小さき頃を思い出さずにはいられなかった。

子どもの頃の自分を少しだけ思い出したのだ。

あの時の私は“誰かに褒められるのを求めていた”“頑張った自分を見てほしかった”“できない自分に絶望していた”。

少年野球チームではレギュラーになれずただベンチの前で素振りをしていた。
ハッキリと今でも思い出せる算数の0点の答案用紙…。が思い出される。

一方だ。

「〇〇、歌歌うの上手いね。」と親や友達に褒められた。
「絵が上手」と言われ恥ずかしかったけどにんまりとした。

そんな私もいたことを思い出した。

「褒められたから」「誰かが喜んでくれたから」頑張れたのかもしれない。
他者のために頑張れる自分もそこにはいたのだ。

そんな私は、

「これをしたら、“誰かが”喜んでくれる」

そんな「見返り」を求めていたのかもしれない。

しかし、今はその見返りをあまり意識していない。
こうしたらこうなると期待していないのだ。
(もちろんまだ子どもの頃の蟠りはあるが)

でも、なぜだろうか?

子どものために休日を使い、学びに向かう自分がいる。遅くまで残り頑張ろうとする自分がいる。

「自分が求める見返り」はないかもしれないのに。
なぜそこまで頑張れるのだろうか?

それはきっと楽しいからだろう。

子どもたちの一人ひとりの笑顔が脳裏を過るのだ。

そんな想像が楽しいのだ。
ニヤニヤしてしまう。

そのニヤつきは子どもの頃の私と似て比にならない。

ただ純粋に嬉しい思いで、楽しんでいたあの時と。

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