『艶』のある文章のお話。|読書感想文
最近の生活リズムが崩れている。
岩井志麻子さんの「ぼっけえ、きょうてえ」が、わたしを寝させてくれやしないのだ。
日本ホラー小説大賞受賞作を冠する「ぼっけぇきょうてえ」
岡山地方の方言で「とても、こわい」を意味している。
その内の短編、明治初期頃の女郎のお話。
感想は、ぼっけえきょうてえ、に尽きた。
お話もさることながら、かほどの引力を備えた文章を体験したことがない。未知との遭遇と言い換えても遜色ない。
私は読書ビュッフェと称して、ベッドサイドの小さなテーブルに本を平積みしている。夜寝る前にそこから目に止まった本をひょいと拾い上げて寝入るまで読むのだが、まさか丑三つ時まで眠気が訪れない経験は初めてだった。地獄に焦がれる、と表現するのがしっくりくる世界観にのめり込んだ。だが、それ以上に味わったことのない未知の感覚にも戸惑った。
「艶」だ。
文章に艶があると感じたことは、生まれてこの方ない。いや、正確には艶を感じる機構が備わっていなかった。だが、友人からのたった一言で私の中に新たな感覚器が生まれた。
「色っぽい文章だよね」
それだ。恥ずかしながらこれまで、文章に色情を結びつけることがとんとなかった。心情や風景を書き連ねることで五感に刺激を及ぼすことができるが、文字自体はあくまで無機質なものだと信じていた。
岡山のつよい訛りが含まれ、かつ明治頃の口語で綴られる文章は、お世辞にも読みやすいとはいえない。浅学な私は咀嚼するのに3倍は時間はかかった。
だがそうすると、一文と一文と向き合う時間は必然的に延びる。すると確かに艶が宿っていることに気づく。女郎の語尾、間、語り口がたった一文に濃縮され、遊郭に漂う甘ったるい香水が鼻腔を刺激するように、まざまざと映る。
かつて友人から官能小説をオススメされ、多少は齧ってみたことがあった。あれらは色っぽさを越えてエロティックまで突き抜ける。文章自体というより、汲み取ったイメージが脳内に投射されて初めて色が突くような感覚だった。もちろん、私の目にした作品の他にも素晴らしい官能作品は世に溢れている。触ったほんの一端だけでジャンル毎イメージを固着化させてしまうのは如何なものかと思うが、現状、私が官能小説に抱いた印象はそうだった。
だが、この作品は「止まる」
一向に突き抜ける様子がない。いや、艶っぽい表現をするなら「ずっとじらされる」のだ。もちろん、直接的な表現が挿入されないことに起因するかもしれない。だけど色も香りも感覚も、果ては心までもが焦らされる。核心にふれること無く、人工衛星のように周回を続ける。文章から直接にじみ出てくる。イメージではなく、文字たちがすでに色めき立っている。これを艶と言わずしてなんといおうか。
無理にイメージしようにも黒澤作品みたいにモノクロのフィルターにかけられる。ところどころフィルムの擦り切れすら忠実に再現するようにジャギジャギまで映る始末。華やかな遊郭、壱岐通り外れの暗がりも、たった白黒の陰影だけで詳細に想起させるほど、映像は過去のものとして投影される。
なるほど、これが文章自体に宿る艶かと、思わず納得してしまった。
ごめんなさい。正直格好つけてます。
艶めかしい文章を書こうと必死でした。
すみません、ここから素に戻ります。
うん、すさまじい。
純文学を読んでいても、ここまでの衝撃はそうそうない。
きっと私はあと10年書き続けなきゃこの艶は再現できない。今頑張っても、ただの脳内ありあわせ知識のコピペ作業にしかならない。
書き手にこそ読んでほしいと思った作品だ。時代背景への深い理解、男女ともに心情の奥の奥まで憑依させた見事な一人称視点。一般常識さえも当時の風習にジャンプさせて、文体で一致させている。
地味にわたしの度肝を抜いた表現が「二連からの三連強調」
この小説は一人称視点。このセリフが放たれた時は何も情景描写がない。
でも、人物がどんな表情を浮かべているか、目線をどこに向けているか、口元の端の様子、手の位置や形、首をさらにまるめるような前傾姿勢、絶対に折れないであろう信念、焦がれる心、傍から聞く第三者の表情、心情、恐怖と好奇心の葛藤。
たったこれだけの一文で、すっかり世界に取り込まれた。
そうだ、わたし岡山出身の明治の人だったわ。うん。いま遊郭で遊んでます。うん。え?今は21世紀?なにを馬鹿なことを。ほほほ。
ただ、繊細な心の持ち主に対して、この作品を両手を挙げてオススメするのはちょっと憚られる。
艶かしさ以前にそれこそ地獄の表現が徹底している。地獄といっても、空想の地獄じゃない。寂れた山間部にあったかもしれない地獄を、これでもかというほど緻密に描いている。気分が悪くなってしまう人がいるのも、ちょこっと想像が出来る。
なんというかリアリティに富むほど、ホラー作品としてより昇華されるのだと実感する。
呪怨やリング、仄暗い水の底からのようにじわじわと日常を侵食される作品に鳥肌がたつのは、私達の身近な現実が脚本に落とし込まれているからだろうなと思ってしまう。実のところ、ホラーって主人公が悲惨な目にあう必要はないんだなってところも大きな発見だった。人間の根源的な恐怖は未知だからこそ、アプローチはいかようにもできる。どう人間を恐怖させるか。そういった視点で見ても面白いことだらけだ。
ちょっと脱線するが、吉本ばななさんも「還暦過ぎたらホラー作家になりたい」とインタビューに答えていた。おそらく人生経験値のたまりきったお人ほど、恐怖に対する造詣が深くなるのかもしれない。
ぼっけえきょうてえは、それこそ岡山の土地鑑であったり、女郎や遊郭について何の知識もなく入り込める。身近にあったはずの文化を説明するでもなく「当時の人」に憑依させて語らせる。ゆえに目を背けたくなるような真実も、すらすらと答えてしまう。そうして耳を傾けていると、夜も深く闇の底。
読む時はゆっくり時間を確保しておくのがオススメ。
そうしないと、わたしのような、ぼっけえ寝坊助さんになりますよ?
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