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20代を子育てに捧げるのは勿体ないか


自分はほとんど思いがけず、20代後半で一児の母になった。

今の時代、これは同世代の中で早い方だと思う。
子供は授かりものというので、これは幸運なことだ。

しかし、妊娠したばかりの私には、素直に嬉しいという気持ちより
正直「早まった・・・」という気持ちが強かった(不妊に悩む人もいる中、我ながら本当に恩知らずである)。

だって、
ようやく社会人として自立してきて、挑戦したい仕事や資格はあるし、
毎週末のようにイベントや旅行に行く自由な暮らしをまだ楽しみたい。
かつ、自分は自由奔放な両親に振り回された子供時代だったので、我が子に同じ思いはさせたくない。
そもそも今の未熟な自分に一人の人間を育てる自信など無い・・・

華の盛りの20代を子育てに費やしてしまうのは勿体ない!
少なくとも20代のうちは、子供を産み育てようなんて思っていなかったのだ。

同い年の知人・友人も結婚・出産をしていない人がまだ多いが、
同じような考えを持っている人は多いんじゃないか?

自分が無事に母親になってしまった今、そんな友人らと会ったときに
「子供欲しいと思う?」といった質問は
嫌味に取られかねないので、口が裂けても訊けないが・・・。

では、実際に子供を産んでみてどうか?
結論から言うと、私は20代のうちに子供が産めてよかったと思っている。

でもつい先日、出席した結婚式で大学時代の友人が
「自分は結婚・出産にメリットを感じられない」
「同じ年で既に子育てしてるなんてすごい」
と言ってきた時、
うまく自分の考えを説明することができなかった。

子供を産むメリットと訊かれると、とっても難しい

実際、自分のために割ける時間は減ってしまうし、
友人らも育児中の自分に気を遣うから夕食や飲みに誘われなくなる。

子供中心の生活になった結果、
ノーメイクで過ごすことが増え、服装もどんどん適当になっていく。
(気を遣っている綺麗なママも多いと思うけれど!)

さらに言えば、生まれたばかりの赤ん坊は、自分がほんの少しでも目を離せば死んでしまうんじゃないかと思えるほど頼りなげで、
母として尊いの命を預かるプレッシャーは重い。

育休中は職場の状況もわからず、子育てに関する情報を収集することで精一杯で、社会から取り残されたような感覚がすることもある。

今よりも子供が成長すれば、家は散らかっておしゃれなインテリアよりも子供の安全を考えるようになるんだろう。
学費や生活費もかさんで、仕事に子供の行事や習い事に一杯一杯、毎日が限界の日々が待ってる!
・・・これは実際に子供を産んでみて、どう頑張っても少なからずは待っている現実なんだろうと痛感した。

今のところメリットは一つも無い。
「でも子供がいると毎日癒されるし、幸せいっぱいなんだから!」と押し通すのもちょっと違うと思う。

じゃあどうして自分は20代で子供を産んでよかった!と思えるのか

1) 「出産」という「宿題」に早くケリをつけられたから

私の親世代は、まだ「結婚して家族を作ることが当たり前で、人としての幸せだ」という考えを持っていることが多い。

自分の両親や親族もまた然りだった。
24歳で私を産んだ母は、私がその歳になると「私は今の(私の名前)の歳でママになったのよ」とそれとなく言ってきた。
祖父に至っては、年賀状に「そろそろ結婚を考えたらいいと思います」とか「ひ孫が見れたらもう人生満足です」と書いてきたりした(笑)

一家で一番年上の長女であり、初孫だった私は
その言葉により真向からプレッシャーを感じていた。

つまり「出産」は、言うなれば夏休みの宿題のようなものだった。
済まさない限り解放されず、頭の片隅に居座る厄介者だ。

さらに、私は「今は子供を作りたくない」と親族を説得しようと思えるほどの信念は持っていなかった。
考えれば考えるほど、自分は「いつかは子供を作ってもいいけど、今は決めきれない」という状態でしかないということに気づいた。
宿題を先延ばしにしているだけなのだ。

では、「いつかは出産を考えなければいけない」という思いを頭の片隅に置いて今の自由を楽しむより、さっさと宿題を片付けようという気になった。

いざ妊娠・出産を経て、
確かに産前産後の手続きは大変だったし、今までどおりの自由な生活はできないが、
孫・ひ孫が見られて両親や親戚は喜び、一族が活気づいた様子を見ると、
一つ荷が下りて晴れやかな気持ちになった。

2) 早ければ早いほど身体的に有利だから

妊娠・出産は年齢が若いほど容易いというのは
多くの人が何となく知っている事実だとは思うが
実際に経験して痛感したことでもある。

まず、年齢が上がるほど、出産に際して決断すべき事項が増える
私の通院していた産院では、妊娠して初期の段階で、胎児のダウン症リスクを調べるスクリーニング検査の案内があった。
そこで、母親の年齢が20代か35歳以上かで子供のダウン症の発生率が二倍以上に跳ね上がると説明された(具体的な数値はネットで調べることができる)。
検査費用が数万~数十万円(保険適用外)になる羊水検査では、羊水を採取することによる流産のリスクがある。
20代では、子供のダウン症発生のリスクの方が検査による流産リスクより低いということで、私は検査を受けないことにしたのだが、
35歳以上になるとふたつのリスクを天秤にかける必要が出てくる。

妊娠初期は通院頻度も低く、赤ちゃんがちゃんと育っているかどうか常に不安だった。
様々な心配から検索魔になったり悪阻もある中で、心配事がさらに増えるのは精神的にきつかっただろう。

また、私は妊娠中も割と元気な方で、産休に入るまでほぼ通常通り仕事を続けられたのだが、高齢になるほど高血圧症や糖尿病、それに伴う早産・流産のリスクも高くなる
行政の助成はあれど、出産に際して特別な処置や追加の入院があればそれだけ費用もかさむ。
もちろん元々の体質もあるだろうが、仕事仲間や家計に負担をかけず出産できたのは、若くして出産したおかげでもあると思っている。

ちなみに産後の経過も良好だった。

さらに育児に関しても体力がある方が有利だ。
私は現在、我が子の寝ぐずりで7キロ超えの赤ちゃんを2時間近く抱っこしてゆらゆらしたり、朝と夕方に1時間近く散歩したりしているが、
体力的にはまだ耐えられている。
夜泣きによる細切れ睡眠にも対応できたが、これが30歳を過ぎていては同じようには行かなかったかもしれない。

今後、30歳を超えて第二子以降を産むことになっても、
一人目を経験してるので、初産よりかは大変さが軽減されるだろう。

3) 「子育て=社会からの離脱」ではないのだと気づいたから

「社会に出る=仕事に就く」と何となく考えてしまっていると、
出産と育児に伴って仕事を休むことは、社会から離脱することだと捉えがちだ。
でも実際は、自分の人生の事業領域に「子育て」という分野が加わる感覚なんだと知った。

産休・育休によって確かにキャリアは少し止まってしまうが、
少なくとも私の勤め先では、一年間ほど休みを取ったからと言って、すぐさま同期たちに置いて行かれるようなことはない。
むしろ、プロジェクトなどを任されることの無い下っ端のうちに休みをいただくことで、同僚への負担も軽くなったと思っている。

また、最近はテレワークや時短勤務制度も充実してるので、休み明けは子育てと両立しやすい部署に復職させてもらうつもりだ。
妊娠前は、忙しい部署でバリバリ働きたいと考えていて、子育てによって仕事をセーブするのは避けたかったが、
最近はその考えに固執しなくてもいいと思い始めた。

というのも、育児を始めて、「子育て」という全く新たな領域が開かれたからだ。

我が子が生まれた瞬間から、その新たな人生は始まる。
親が適切に介入してあげることで、生後3か月頃までに正しい昼夜のリズムができてくる。
親の寝かしつけ方次第で、6カ月頃には一人でベッドで寝つけるようになる子もいれば、ずっとママのおっぱいを欲しがる子もいる。
妊娠中の母親の食事も含め2歳までの食生活で、その子の体質や食の好き嫌いが決まると言われる。
親の話しかけ方次第で、自分で考えられるようになる子もいれば、そうでない子もいる。
親は絶えず様々な情報を集めながら、我が子を見つめ、その性質を見極めて接していかなければならない。
常にPDCAサイクルを回し続けなければならない。

これは仕事と同じくらい、あるいはそれ以上に大変なことである。
子育ては、仕事を離れている合間の副次的な作業ではなく、二つの仕事を掛け持ちしているようなものだ。
「育休」を「育業」と呼んだ東京都の担当者を褒めたい。

ただ、仕事はお金を増やすものである一方で、子育てにはむしろお金を費やすことが多い。だから二つは性質の違うもののように見えるのである。

でも、そもそも人生のポートフォリオにおいては、金銭的な利益ではなく、その人の「幸福」を追求することが最終目的であるはずだ。
だからお金をもたらす「仕事」もお金を費やす「子育て」も、その人に幸福をもたらすならば、共に大事な事業だと言っていいだろう。

私は、今「子育て」という事業分野を育てている最中だ。
情報収集を日夜行いながら、我が子の新しい興味を発見しては遊びの中で伸ばしたり、我が子の安眠のために環境づくりや接し方に試行錯誤したりするのは、中々地道な作業だ。
人間というのは複雑な生き物で、PC上のプログラムのように正しくインプットしても期待するアウトプットが出てこないことの方が多い。
でも思わぬ方法が上手くいったり、自分の期待以上の我が子の表情が引き出せたりした時の喜びはひとしおだ。
当たるも八卦当たらぬも八卦な、パチンコみたいなものなのか・・・私はすっかり沼にはまりつつある。
人生をかけた超長期的なプロジェクトではあるが、この新たなお仕事は自分の性に合っているみたいだ。

4) 一人の人間が成長していく過程を間近で見るのは、とても尊い体験だから

生命の神秘というけれど、これは本当である。

一般的な赤ちゃんは、生まれて何もできない状態から一年ほどで立って歩けるようになる。
これだけでもすごいと思うが、実際に子育てをしてみると、これは無数の成長の積み重ねの結果であることがわかる。

生まれたばかりの赤ちゃんは、目もほとんど見えなければ、手足など自分の身体の部位を意識的に動かすこともできない。
下あごのあたりに何かが触れると反射で口を開け、乳首を口に持っていくと反射で吸い付き、反射による舌の動きで母乳を吸い出し、それを反射で飲み込むのだ。
生命維持のために身に付けている数々の反射行動に、人間の造りの精巧さを発見して驚く。

そして生まれて二週間ほどで自分が子宮の外に出たことに初めて気づき(かわいい)、日に日に目に見えて成長していくのだ。
朝起きたら、前の日には全く見せなかった新たな表情やしぐさを見せてくれる。自分の手を見つめ始めたと思ったら(手を発見!)、数日には口に持っていけるようになったりする(手を自分で動かせる!)。
凄まじい成長欲求を見せつけられて、私も感動せずにはいられなかった。生命力を分けてもらっている気分になった。

母親は、本能的に子供に愛着が湧くように作られているのだし
(授乳をすればオキシトシンという幸せホルモンも出る)、
赤ちゃんは自分の身を守るために、人間が本能的に守りたいと思うような
見た目・性質を持って生まれている。

だから母親が我が子を尊いと思うのは、いくらか当然の摂理なんだけれど、
それを除いても赤ちゃんが一心に成長に向かっていく姿には、感動させられるものがあった。

20代(あるいは生涯)で子供を産む「メリット」は無いかもしれない。でも・・・


子育ては制約ばかりじゃない。
むしろ自分の「幸福」の領域を広げてくれる大チャンスだと思う。

人生ポートフォリオの話に戻れば、仕事だけでなく「子育て」という主要事業を持つことは、リスクヘッジになる。
どちらかがうまくいかなくても、自分に幸せをもたらしてくれるものがまだあるという安心感に繋がる。

もちろん、推し活のような趣味だって事業のひとつに組み入れられる。
人生何があるかわからないから、事業はできる限り手広くしといたほうが良い(現実問題、お金の制約もあるけれど)。

いつか産みたいと考えている方は、その機会に恵まれるなら
夏休みの宿題のようにエイヤっと取り掛かってしまうことをおすすめします。すこしはスッキリして、新たな世界が広がるかも。

※但し、子供が生まれると生活は確かに激変するので、人生プランはちゃんと練ってから実行に移すことをおすすめします。私はそのへん見込みが甘い部分もあったので、教訓を改めてまとめたい。



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