【随筆】セクシャルマイノリティについての主観

 少しご無沙汰をしています、ごきげんよう、紺色です。本日はセクシャルマイノリティ、セクマイについてのお話です。

 長いので要点を先に書きますと、興味ないひとにとっての啓蒙は無理強いでしかないと思うのです。
 個々人によって異なる他者のプライベートな部分である性差や性的嗜好を利用し主張すること(特に、許可を得ていない又聞き情報などで)というのは、もはやセクハラの一種のように私は感じて、どうも居心地が悪いな、という話です。

 私はセクマイですけど、セクマイであることに悩んでおりませんので、ヘテロの人からセクマイへの理解を示して貰わなくて良いし、そういうことって非常にプライベートでセンシティブな部分のお話なので、もういいかげん静かにしておいて欲しい、と結構強く思っております。

 セクマイであることに悩む人や悲しむ人は確かに存在します。事実です。そしてそれによって傷ついたひとに対してケアが必要なのは確かで、傷つかせることを未然に防ぐことも大事です。しかし、人間は生きていれば何かしらのことで誰しもが傷つくものだと思っております。良いとは言えませんが、時として恐らく避けられないこと。
 良い悪いで言うたらそりゃあ差別は良くない。
ですが、色々と大声で騒いでるヒト達ってどちらかと言うと、自分が僻みっぽい性格なせいもあってなのかは分からないのですが、
「言うてお前ヘテロやん」
と思うことが多くあります。そして、私がいくらセクマイだからって、全然思考回路の違うセクマイさんとは相容れないし、対立もあるし、仲間などではないから一緒くたにしないでくれよという感じなのです。

 友達になってから流れでセクマイが発覚したりすることもありますが、思考・嗜好の傾向や、結局結び付いてご縁があった人とは、(これはあくまで私の感覚ですが)心で繋がっていたいのです。セクシャルだけではなく、良い部分も悪い部分も、私はハートで繋がっていたい。なんて、恥ずかしいセリフではありますけども。

 レインボーパレードなんかについてもそうです。私自身がまあまあ祭り好きなのでパレードそのものは楽しいから嫌いではありませんが、その虹色をでかでかと掲げる人々に対して、いつも疑問が私につきまといます。

 理解ってそんな簡単じゃあない。理解なんて別に求めてない。

 私の場合は多少差別されても構わないし、ある程度仕方ないと思っているのです。肉体の性別は両性具有など特例のヒトを除いて結局オトコかオンナかしかこの世には居ませんから、まあ、差別は良くないとして、私は最低限の帰属する肉体としての性差は必要だと思っています。
 理由としては、医療的な側面で、です。性器の違いだけで語られがちですが、体内で分泌されるホルモンが男女異なるからです。当たり前かも知れませんが、当たり前に語る方が周りに少ないので書きました。例えばもし、不慮の事故などでホルモンに影響、関係する薬液などを、見た目と性自認のみで本来の肉体性とは異なる処置をされてしまった場合、いったい誰が責任を取れるのでしょう。

 そして差別においての言葉の問題です。オカマだのニューハーフだのも私の成長とともにどんどん言葉が増えて移り変わって、言葉狩りのいたちごっこな気がします。Shemaleなんて言葉も新語として認識してから10年近く経って、今や当人たちからしたら差別語になっているそうです。ところが、そういった風潮に反し、オカマと言われたくないひとも居る中、未だにオカマであることに誇り持ってオカマやニューハーフをなさっている方々もまだいらっしゃいます。

 もうこの問題は細分化していけばいくほど本当にキリがなくなっていく止められない問題なのです。

 皆が皆、快適に暮らしやすい平和な国をみんなで目指していくことは理想です。首相や議員、官僚らが、誰であってもあくまでそれは理想でしかなく、現実、日本のみならず諸外国でも国の抱えてる問題というのは多すぎますため、セクマイについての配慮よりも先にやることがあるのでは?というのが私の正直な感想なのですよ。

 過去のセクマイについての議員の失言も確かに多いし、眉を潜めたくなる語であることも多いです。そういう時は反射的に、こいつどアホやな、と思いますが、その議員を辞職に追いやろうぜ!みたいなハッシュタグの方がなんだか、私としては感覚的にキモいです。

 差別意識は私が生きてる約30年(諸先輩方よりは短いでしょうけども)の間でもだいぶなくなってきたと感じます。また、そういったものを失くすことは、結局時間をじっくり重ねて新しい世代を育成していくことでしか解決できないものであり、特にセクシャリティに関し何も意識してないヘテロの耳元でわざわざ大声で

「セクマイっていうのが存在してね!皆悩みを抱えてるんだよ!」

といったことを叫ぶようなことは思考の無理強いであり、今すぐ何か強行的に変えようとすることの方がよほども悪や恐怖だと私は思ってしまうのです。
 やめてくれ、俺はそんなこと言うてないからな、という気分に…させられます。
 今は特に、より良い未来へ向かうための必要な過渡期にあるんだと私は思っています。

「レインボー万歳!性はグラデーションで人それぞれ!」

と言うならば、1人1人精神的な性別や嗜好は異なるということ。
 そして、自分即ち自分でしかないのだから、自分に誇り持って自分のことを先にやってれば?私も私でそうするからって感じです。正味。

 新世代の育成のために正しい情報の周知が必要なのはわかりますが、各地方でパートナーシップ制度なども条例に追加されてきていて、長い目で見れば日本はちゃんと発展していっているなと思いますよ。
 声をあげてきた人々の恩恵でもあるかとは思いますが、やり口をもうちょっとどうにかできないのかな、というお話でした。

 それでは、また。

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