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幸せの価値観。

2024年1月6日。
お天気が良いので、コーヒーをポットに詰め、近所の焼き菓子屋さんで年末に買ったクッキーを持って公園に出かけた。
釣りに励む老人や、散歩する人、家族でスポーツを楽しむ人など、柔らかな陽射しの中をしみじみとした温かい時が流れていた。
昨夜は手持ちのDVDの中から、先月亡くなったイオセリアーニ監督の「ここに幸あり」を鑑賞した。仏題は「Jardins en automne(秋の庭)」。

大臣として慌ただしく過ごしていた男が、失言によってある日突然失職する。妻にも愛人にも逃げられ、家もお金もなくなり、何もかも失ったように見えた彼だったが、帰郷し、忘れていた友人たちや家族と触れ合ううちに人生の価値を見出していく・・というような内容だ。
どんでん返しもなく、質素で悲喜交々な淡々とした暮らしだが、「生きていること」そのものへの尊さと喜びが静かに綴られているように感じた。

赤ずきんちゃんのようなカゴを持つのは50代。
すまぬ。
かれこれ15年愛用しているoyunaのストールと共に。
息子たちや友人がいればワインを持参したいところ。
ソロ活に慣れたとはいえ、ひとり公園で昼から酒盛りをする勇気はまだない。
まだとは?!

婚姻中は相当なハードモード(浮気、借金、暴力。それから、何もできない意地の悪い狂ったダメ妻だとSNSと現実社会で嘘を吹聴)だった。
今となっちゃこの婚姻生活を「表彰状!あんたはエライ!」と小松政夫に表彰状を30枚はもらうレベルだと思っているが(昭和60年代以前の話題)、夫が出て行った時には誰にもわかってもらえないと思っていたし(こういう人間が他にもいることを後からネットで知った)、尚且つ共依存状態で「なんでも言うことを聞くからお願いだから帰ってきて」と絶望に打ちひしがれ、ノストラダムスばりにこの世が終わると思っていた(こちらのノストラダムスは平成までの話題)。

その後さらにスーパーエクストラハードモードな人生展開に陥るのだが、最近は「こりゃ持ちネタだ。クックック・・。」とちびまる子ちゃんの野口さんばりにほくそ笑んでいる。
老人たちに「今まで楽しかったこと」を聞くとすぐに話は終わるらしい。反対に「大変だったこと」を聞くとめちゃくちゃ盛り上がるようだ。
それ、わかるわー。

本日のお昼ごはん。
「妻は全く料理をしない」と言っていたようで・・。
だとするとこれ作ったの誰?
家族がいた頃はもっと凝ったものを日々色々作っていたのだが?
お弁当も作ってたよね?
あなたも朝昼晩食べてたよね?
ああ、気絶しながら食べていたのか。器用ね。

これまでのさまざまな出来事を、「都落ちだね」「あなたは不幸だらけ」「可哀想な人」と何人かの人から言われる機会があった。私の返事は「そう思う?」だけだった。彼らの価値観で推し量るとそういう見解になるのだなと判断したから。捉え方は自由なので一切意見はしない。
「都落ちだね」ではなく、「私は、あなたの状況を都落ちだと思っている」というのが正しい文言だと思う。しかしながら、それを伝えてくる意図ってなんなんだ。
過去に私が長男に言われて落ち込んだ、「超ウザッ!」「だるッ!!」って言葉が2万回くらい脳裏に浮かぶ。そしてスピード感溢れる回し蹴りを横っ面にがっつりヒットさせている妄想も。

「ここに幸あり」の主人公も、地位や名誉に重きを置く人から見れば同じような結論になるのであろう。
他人が幸せなのか、不幸なのかは、本人以外の価値観で決めるものではない。他人の人生の批評をしている時間に、限りある自分の人生に向き合わなくてどうするのだ。


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