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Lifestyle|フィンランドのクリエーター図鑑 〈04.トゥッティ・ブラウシュ〉

デザインや自然、食べ物など、様々な切り口から語られるフィンランドの魅力。そんな中、フィンランドに何度も訪れている宇佐美さんが惹かれたのは、そこに暮らす「人」でした。このコラムでは、現地に暮らし、クリエイティブな活動を行う人々のライフスタイルやこれまでの歩みをご紹介。さて、今回はどんな出会いが待っているのでしょう。

悠久の大自然に、豊かな生態系が息づく。スカンジナビア半島北部からコラ半島までの一帯は北ヨーロッパ最大の湿地帯。フィン・ウゴル語系の先住民族サーミ(Sámi)が伝統的に居住する文化圏としても知られています。フィンランドの最北、ラップランド地方もその一つ。サーミの人々は漁労や狩猟、トナカイ飼育を生業としながら、何百年にもわたって自然と共生する暮らしを続けていました。

中でも、ノルウェー国境に近い湖畔の町イナリは、フィンランドにおけるサーミ文化の中心地です。イナリ湖周辺には、絶滅の危機に瀕するイナリ・サーミ語を話すサーミ族が今も生活しています。

この町を拠点にジュエリー作家として活躍するのが、トゥッティ・ブラウシュさん。足元の自然や文化をモチーフに、細やかな手作業で生み出す個性豊かなシルバージュエリーはどれもユニークな物語を秘めています。

今回は、限られた色彩とかたちの中に独自の新しい輝きを創造するクリエーターの暮らしの根っこを紹介します。

Tytti Bräysy(トゥッティ・ブラウシュ)/ ジュエリー作家

2009年にイナリに引っ越すまで、トゥッティさんの創造の舞台は故郷オウルにありました。幼い頃は近くに暮らしていたおばあちゃんと一緒に過ごすことが多く、テーブルの上にはいつも白い紙とクレヨンが用意されていたのだとか。家族の絵を描いたり、カードを作ったり。おばあちゃんは絵を描くのが好きな孫娘を絵の学校に通わせ、創造の芽が育つ時間を大切に見守ってくれたのでした。

高校卒業後はグラフィックデザインを学ぶため、ラーへにあるデザイン学校へ進学。その後はグラフィックデザイナーとして約8年間、地元の広告代理店で働きました。デザインの構成要素を減らし、独自の視点で対象を描く。場数を踏みながら、着実にキャリアを重ねるなかで培われたのは、引き算の美学です。一方で、主に手がけた医療用医薬品に関する広告では、記載内容や表現が厳しくコントロールされ、正解をなぞるだけの余白のないプロモーションに葛藤も感じていました。

30代半ばに差しかかった頃、世界的な経済危機が彼女のキャリアを岐路に立たせます。「100年に1度の金融危機」ともいわれたリーマン・ショック。フィンランド経済も大幅な景気後退に見舞われ、経営に打撃を受けた企業は雇用が維持できなくなりました。見通しが見えない会社でこのまま働き続けるか、退職金を受け取って退くか、トゥッティさんには選択肢が与えられました。

広告代理店を退職することを決断させたもの、それは手仕事への好奇心です。それまでも趣味でクロスステッチを刺すなど、丁寧な手仕事に瞑想のような効果を実感していました。深い瞑想から生まれる、創造的な思考。トゥッティさんの脳裏にふと、以前参加した市民講座での銀細工体験が浮かびました。北極の銀世界を思わせる美しさと品質の高さ。どんなデザインにも調和し、時の重なりに味わいを深める。素材としてのシルバーに自己表現の可能性を感じたのです。


30代からの学び直し。故郷のオウルから550kmほど北上し、イナリにあるサーミ教育センターで3年間、まずは金属ジュエリー製作の基礎を学びました。イナリ地域のサーミ文化に精通したトゥッティさんの探究心は、ほどなくして北極圏の先住民族の文化へと向けられます。もっと学びを深めたい、もっと理解を広げたい。機会を求めて、カナダやシベリアの大学にも積極的に足を運びました。中でも、カナダの北極地域に暮らすイヌイットが織りなすアートと金属の多彩な活用は、彼女の創造性に大きなひらめきをもたらしました。

可能性の扉を叩き、見聞を広げながら。創造性の土台を磨き続けたトゥッティさん。その才能の原石が、現役を退いたベテラン金細工職人の目に留まり、大きな転機を迎えます。ラップランドの金鉱山労働者協会に掲載された彼女の作品を見て、もしよかったらと、それまで自身が使っていた仕事道具の中に必要なものはないかと声をかけてくれたのでした。

トゥッティさんは当時、可能性を信じてくれる人の存在が何よりも嬉しかったと話します。そして、既に登録を済ませていた屋号「Paarma Design」を立ち上げ、40歳を目前にした2013年にジュエリー作家としての一歩を踏み出しました。


トゥッティさんのシルバージュエリーに「物語」は欠かせません。モチーフのヒントは北の大地に生息する動植物や地域の文化から生まれます。瞬間を見逃さない。彼女は1日の大半をカメラを持って屋外で過ごします。「シンプルかつ対称にできて、それでいて実体のイメージを損なわない。撮りためた写真から ”赤い糸” を見つけます。運命の相手はいつも少し意外なところで見つかります。」

ラップランド地方に自生する、ラピンヴオッコもその一つです。山間地の厳しい環境であっても100年以上生きる、個体の逞しさに着想を得たトゥッティさん。春夏秋冬の移り変わりを八つの季節に分けて表現する、この地域独自の時候に八枚の花弁を重ねてデザインしました。

いくつかの物語が交差して展開されるストーリーもあります。ユニークなジュエリーに欠かせない、もう一つの要素が「魂」です。特に受注生産の場面では、依頼主がジュエリーを求める動機が既存のデザインに新しい命を吹き込むこともあります。北極圏と南極圏を往来する渡り鳥として知られるキョクアジサシは、船乗りとして家を離れ、遠くで働く家族を象徴するモチーフになりました。

トゥッティさんは常に新しい出会いを追いかけます。サーミの文化に着想を得る場合もありますが、既にそこにあるものよりも、記憶の中に忘れ去られた題材や装飾を磨いて輝かせることに喜びを見出します。月並みな表現を避けるため、独創的なモチーフが多く、その制作技法でも型にはめること(鋳金)はほとんどありません。一つ一つの工程を大切に、仕上げまでとことん手作業にこだわります。

「私たちの暮らしにジュエリーは欠かせませんが、私のジュエリーが世界を満たす必要はありません。なぜ、私のジュエリーを必要としているのか。その声に耳を傾けながら、喜びを輝かせられる数だけを、自分の制作領域の中で手がけていきたいと思っています。」


広告代理店で働いていた頃とは、生活が大きく様変わりしましたが、トゥッティさんは今の暮らしに満足しています。自分のことばを見つけたこと、そのことばを使って表現できる居場所があること。自由と責任の両方を楽しんでいます。プライベートでは、価値観を共有できるパートナー、サウリ・パティラさんの存在も支えになっているのもしれません。トゥッティさん自身の赤い糸もイナリに繋がっていたんですね。

生き生きとした煌めきを纏う銀細工。「紹介したい人がいるの!」そう言って、今回トゥッティさんとの縁を繋いでくれた友人の瞳も同じくらいに輝いていたことを思い出しました。何に価値を置き、誰がその価値を決めるのか。新しい世界観を切り拓くことを楽しむ背中は、私たちの創造性を刺激し、誰かの夢や志を受け継いでいくのかもしれません。

\ トゥッティさんにもっと聞きたい! /

Q. 「Paarma Design」が実現したいことは?
社名のPaarmaは母の旧姓に由来し、フィンランド語で虻(アブ)を意味します。しつこくつきまとって、ときには皮膚を噛んで攻撃することさえある昆虫ですが、生態系の中で大切な役割を演じ、非常に忍耐強い気質を持っているとも考えられます。私自身も自然と共に生きながら、あらゆる方法でジュエリーの重要性を引き出したいと考えています。

Q. ジュエリー製作に用いる主な素材とその産地は?
シルバーの産地はスカンジナビア半島で、半分はスウェーデンの銀鉱山から採れたもの、もう半分はリサイクル素材です。ゴールドは地元のイナリを流れるレンメンヨキで採集された金塊を使用します。ラップランドのゴールドは長い年月をかけて研ぎ澄まされてきました。高純度の金塊をあえて溶かすことはせず、自然が形作ったそのままの状態で用います。レンメンヨキではガーネットやコランダムなど天然石も手に入ります。銅を中心にリサイクルメタルも積極的に取り入れていますし、トナカイの角や皮などを組み合わせることもあります。

Q. どうやってジュエリーを製作しているの?
題材が決まったらパソコンを使って描画します。構成要素を引き算しながら、独自のデザインを追求する過程は、グラフィックデザイナーの経験が生きる場面でもあります。様々なスケールを作成し、その中からネックレスやイヤリングなどに適したものをそれぞれ選びます。のこぎりで金属をカットし、ヤスリで削り、研磨し、はんだ付けし、もう一度研磨して … すべて手作業です。失敗のリスクがあっても、私は常にシルバーで試作するようにしています。ジュエリーが完成したらすぐに外で写真を撮って、それが象徴しているものが何かを改めて考えます。


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