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Lifestyle|フィンランドのクリエーター図鑑 〈07.アンナ・カルフ=コルミエ〉

デザインや自然、食べ物など、様々な切り口から語られるフィンランドの魅力。そんな中、フィンランドに何度も訪れている宇佐美さんが惹かれたのは、そこに暮らす「人」でした。このコラムでは、現地に暮らし、クリエイティブな活動を行う人々のライフスタイルやこれまでの歩みをご紹介。さて、今回はどんな出会いが待っているのでしょう。

首都ヘルシンキの西側に隣接するエスポー。スタートアップが多く活躍し、自動運転バスや5Gを活用したスマート街灯の実証実験などが積極的に行われていることから、近年はイノベーション都市として注目されています。

映画「かもめ食堂」にも登場したヌークシオ国立公園や、アルヴァ・アアルトがデザインしたアアルト大学のメインキャンパスを構えるなど、日本からの旅行者にも人気のエリア。既存の地下鉄を延伸し首都と郊外を繋ぐフィンランド最大級のインフラプロジェクトが先日ようやく完工し、交通アクセスはますます便利になりました。

町の南西部はフィンランド湾に面し、いくつかの群島が浮かんでいます。そのうちのひとつ、スヴィサーリストにアンナ・カルフ=コルミエさんは2年前に引っ越してきました。フィンランドで300年の歴史を誇るハーブ農園「フランシラ」でクリエイティブディレクターを勤めた後、現在はこの町を拠点に、香りと内的に感受する体験の関係に関連する芸術活動を行っています。

今回は、香りを道標に植物の本質にアプローチする、クリエーターの暮らしの根っこを紹介します。

©️Sanna Saastamoinen−Barrois

Anna Karhu-Cormier(アンナ・カルフ=コルミエ)
/ 植物療法士・アーティスト

アンナさんの故郷は、ヴァンター市のランシマキ。郊外住宅が立ち並ぶ町の中心部から少し足を延ばせば、古き良きフィンランドの片田舎の風景が広がります。体調を崩した時、母親のシニッカさんはよく近所から植物を集めてきては、それらを組み合わせてオリジナルのハーブティーや即席の蒸し風呂を作ってくれました。老廃物の排泄を促し血液を浄化するイラクサ、風邪や膀胱炎の症状を緩めてくれるセイヨウオトギリソウ。暮らしには植物の力を実感する場面が多くありました。

高校を卒業後、しばらくして、国外に学びの機会を求めたのは友人とのインド旅行がきっかけでした。

「わずか3か月の旅程でしたが、世界の広さを実感するには十分すぎる経験でした。このままフィンランドに留まっていたくない。好奇心が刺激されました。」

視覚芸術を勉強するため、イギリス南西端、コーンウォールにあるファルマス大学へ進学。以前から物事の過程に関心があったアンナさんは、日常で刻一刻と変化する自然をモチーフにするグラフィックを多く制作し、現代視覚芸術の修士号を取得しました。

広い世界を求めて開いた扉の向こう。同じくイギリス留学中で、後にパートナーとなるジュピター・コルミエさんに出会いました。ジュピターさんのご両親はともに農学者で、当時はまだ珍しかった有機農法によって農園を耕作し、1970年代にフランシラを創設したことで知られています。友人同士の何気ない会話の中に、たびたび登場する植物療法(フィトセラピー)に、アンナさんは次第に興味を抱くようになりました。

28歳で帰国後、ヘルシンキで再会した2人は結婚。アンナさんはフランシラのウェルビーイングセンターで約2年間、フィトセラピーを学びました。

©️Elina Simonen

植物療法士(フィトセラピスト)とは、暮らしの中で植物を様々に活用し、心身に美と健康をもたらすことができる専門的知識と実践方法を身につけた人に与えられる資格です。私たちはからだの内側で起こっていることを直接目で確認することはできず、具体的な症状が現れてはじめてその異変に気がつくことがほとんどです。目には見えない植物の力を紐解く作業は、視覚芸術を学びながら、技法や素材の特性、過程に着目する「目」を鍛えてきたアンナさんを夢中にさせました。

勉強を始めたタイミングで第一子を授かったこともあり、妊娠、出産、子育てを体験しながら、レッスンの内容を自分事にして身につけることができたと話します。慎重に正しく知識を用いることで、敏感な時期であっても、医薬品に頼らずに健康を管理できるのです。

「出産までの特別な時間に母子が安心して幸せに過ごせるようにフィトセラピーを用いることを卒業論文にまとめました。代謝や排泄が未熟で薬物への感受性が高い乳幼児の不調にも植物は穏やかに作用し、中耳炎や便秘などの症状を改善させてくれます。フランシラでの学びは私にとって生涯の贈り物であり、私の情熱です。」

14世紀から一族に継承されているフランシラのハーブ農園。11代目当主として義母のヴィルピさんと義父のジェームズさんは有機農業にこだわり、今から40年以上前にオーガニックファームを開園しました。2017年1月、アンナさんはこの農園のクリエイティブディレクターに就任します。

「ヴィルピとジェームズの叡智や思いやりの心は、次世代へと確実に受け継がれるべき宝です。彼らが始めた使命を継続し、人々が自然とより緊密なつながりを築くように促したいと考えました。そのためには、植物の利点に関する古くからの伝統的な知識を保存しながら、場合によってはそれらをアップデートすることにも挑戦しました。」


©️Susanna Vento

植物が作用し、人間が生まれながらにもつ自己治癒力を高めてくれるように。フランシラでのキャリアやハメーンキュロでの暮らしは、アンナさんの心の奥深くに宿る探究心に働きかけました。好奇心のアンテナがアーティストとしての本能を刺激したのです。2021年4月、フランシラを退職し、香りと内的に感受する体験の関係に関する芸術活動を本格的にスタートさせました。

「これからの人生を考えた時、自他のための創作活動にもっと多くの時間を割きたいと考えました。そのための自由が恋しくなりました。物事に全力で取り組む時には、私たちには一人ひとり消費できるエネルギーの量が限られています。」

フィンランド南東部の群島のひとつ、セイリ島に自生する12種類の植物のコレクションを発表した「Scent Archive」では、植物を抽出することで、香りや液体としての植物の本質を可視化することに挑戦しました。植物は、色素や香り、辛味などを構成するフィトケミカル成分を光合成することで紫外線や有害物質、害虫などから身を守っています。芽吹く場所は選べずとも、個性を輝かせながら、自分自身として生きているのです。

ベネルクス三国フィンランド文化研究センターからの委託を受けて制作した「kaiku」では、アムステルダムで活躍するビジュアルアーティストと共同で、刻々と変化する自然の一瞬を嗅覚と聴覚で表現しました。五感を刺激する植物の精神性。ゆっくりと穏やかに香りが作用する空間に、植物の樹脂や蒸留物などを有機的に配置し、生命体としてのフィンランドの森を描きました。

昨年発表した「Ritual Candle」では、フィンランドで採集した植物にオーガニックの蜜蝋とエッセンシャルオイルを融合させ、視覚と嗅覚に体験を伴うクリエーションを展開しました。

「キャンドルを手に持ち、火を灯し、そっと息を吹きかける。その儀式を創造しました。まるで1本のキャンドルのように、人生はあっという間に過ぎてゆきますが、心が強く動かされた瞬間は記憶として定着します。美しく、幸せを感じた場面では、たとえ記憶の中であっても、力強く当時の香りが匂い立つものです。」

昨年12月、Ritual Candle が展示されている会場を訪れました。マスクを外して、キャンドルに歩み寄り、目を閉じたその瞬間。それまで遮断されていたのは嗅覚だけのはずなのに、五感の扉が一気に開かれたように感じました。

忙しい毎日の中で物事の本質を常に追いかけることはなかなか難しいですが、少しずつでも物事を多面的に考える瞬間を積み重ねることで、そのプロセスが私たちの暮らしを豊かで心地良いものに導いてくれるのかもしれません。

\アンナさんにもっと聞きたい! /

Q. 植物と香りの可能性は?
アートとしての香りは未開分野で、非常に大きな可能性を秘めています。私にとってアートは現実の探究ですが、目に見えるものだけが全てではありません。惑わされずに、その先にある本質を考えたいと思います。例えば、植物の葉や花を水蒸気蒸留すると、葉や花に含まれている香り成分を取り出し、植物が秘める情報にアプローチすることができます。

私の目はいつも外の世界に向いていますが、嗅覚はその逆です。香りの記憶は心象風景を描きます。怖がっていたり不安を感じていたりしている場面でも、良い香りはまったく異なる心の状態を引き起こすことがあります。瞬間の儚さや現象の美しさを強化し、蘇らせることができます。

Q. 好きな植物と香りは?
夏の湿地の匂いです。日だまりの中、夏小屋の近くの湿地帯を歩くと、松の木の香りや大地のコケなど、良い香りがします。 春はスズランの花のライトな香りが大好き。 他には、甘さと苦みを含んだジュニパーの香りも素晴らしいです。特に、ジュニパーベリー(西洋ネズ)から圧搾されたオイルがとても気に入っています。水の中にあるジュニパーの枝には針葉樹のような素晴らしい香りがあり、湿地と森、牧草地、森を思い起こさせます。日本の香りではヒノキが大好きです。乾燥チップを水に浸して芳香浴を楽しんでいます。

Q. 2023年楽しみにしていることは?
私は今、ミツバチにとても興味があります。実はハメーンキュロのフランシラに養蜂箱を設置する計画を立てています。年明けから養蜂の勉強をはじめる予定です。フランシラを訪れた方はご存知かもしれませんが、夏にはオレンジ色のマリーゴールドや、ピンクのエキナセア、ヒナギクに似たカモミールなど30種類以上の野生の花やハーブが24万平方メートルのハーブ農園を鮮やかに彩り、ミツバチや蝶々もたくさんいます。フランシラの収穫シーズンに注目して、体験型のアートイベントを開催したいと思います。もちろん、私自身の芸術活動も継続します。直近では、年明け早々にベルリンで展示が始まります。心を弾ませながら準備に励み、新しい年を迎えています。

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