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ハンス・クリスチャン・アンデルセン原作「赤い靴」⑷/カーレンの慢心と欲:神に引き取られた魂

 人間はちょっとしたことで、気持ちが変わることがあります。普段から自分で自分を分かっていると、調子に乗りすぎることはありませんが、カーレンが、自己認識と他を公平に見出(みいだ)す力が弱いのは、なるべく自分を人によく見せ、また自らをよく思いたい気持ちが強いからでしょう。
 我欲が判らなかったカーレンは、育ての親の苦労を助ける気持ちや、兵隊に出た者への思いやりがありませんでした。手柄顔で、自ら足を切ってもらったことを皆に見せたいと思うような気持ちでした。教会に通っていても、神様のことを思ったことはありませんでした。神を思う気持ちがないなら、教会に来なくてよい、と厳しい判じ物を見せられ、ようやく善の神の手習いを始めます。しかし、失意逆境のままで、小さい自分の部屋で一人でいる時にしか信仰に向き合えないのであれば、いったん神様に身魂を引き取られた方が、カーレンにとっては幸せだった、ということなのかもしれません。やっと慢心と欲を捨てられたことへの憐(あわれ)みを受けたのでしょう。
 物語の最後の「そこでは、もう誰も、赤い靴のことを訪ねる者はありませんでした」という言葉は、毎日は流れる水のように常に新しいのだから、悔い改めた過失を持ち出すことは真理に逆行する、という意味で、神様に引き取られたカーレンは赦され、罪は消えました、ということでしょうか。そこでカーレンはようやく救われました、という意味なのではないかと思いました。

 これは感想文で、原作の美しい文章をそのまますべては書いていません。
 アンデルセンが神様に直面した気持ちで書いたと言える精鋭短編作品でした。

(了)


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