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存在確立で生きづらさ解消?自分の自然な思想に忠実に - 信用と発達障がい

 私は生きづらかった。信用を築くのが苦手だったからだ。信用は健常者の世界では関係性の調整で成立する。私はIQが高いと言っても、関係性の調整が苦手で、思考により健常者のフリができるだけの障がい者だ。フリなので長続きしないし、相手は私を健常者だと認識しているので、ボロが出ると信用を失う。

 そこで、健常者の信用を放棄した。無理なことは無理だ。他者の期待を無視して、好きなように生きて存在する方が精神衛生に良い。私は存在と生存と、自分の知性の要求だけに従って生きることにした。

 他人のことはどうでもいい。好きなように思想を書きなぐり、好きなように知性に任せて暴れて、好きなように存在した。好きなように何もしなかった。やはり孤独が一番。自分勝手が一番。暴走の限りを尽くた。

 「もう誰もいないだろう」と振り返ったとき、大勢の人間が私の自由を見守っていた。「かっこいい」「あんな風になりたい」。他者の足を引っ張る面倒くさいタイプの人間はいなくなり、多くの「我」を持つ人間が、私に拍手を送っていた。どうやら私は、暴れまわったり、存在に専念することで、ある種の信用を得ていたらしい。

 なぜ好きなように、何かしたり、何もしなかったり、存在していただけで信頼を得られていたのか。私の行動様式を観察すると、だいたいの行為は「怪文書」に従っている。「怪文書」は、私が思い付いた概念や行動を意義と共に書き表し、実体験を記録するものだ。目的と手段と結果が外部にまでわかる形で公開されている。

 似たような働きをするものは政治だ。政治は実現すべき目的を立法で定め、行政で実現、司法で判断され、記録される。全ての過程は文書によって行われる。私は自分に対して法治主義を適用した結果、信用を得ていたようだ。

 今までの経験や学習から形成された理性が、「怪文書」という法律を作り出し、「肉体」という国土を統治して、「蘭茶みすみ」という存在を確立させる。その積み重ねが他者からの信用を形成する。まるで私自体が「蘭茶みすみ」という国家になっているようだ。

 日本列島は、ただのプレート運動で海から露出しているだけの陸地だ。しかしそこに人が住み、風土ができて、科学を根拠に、人間の意思のもとに政府を作り、「日本」が成り立っている。そして文が人間を動かすことで、四つの島の形を見るだけで「日本だ」と認識できるようになる。

 バーチャル美少女だって同じだ。ただの自然現象である肉体に、経験や環境で性格ができて、高度な学習で理性が形成される。人間の意思のもとにバーチャル美少女を作り、「蘭茶みすみ」が成り立っている。そして文が人間を動かすことで、私を見るだけで「蘭茶みすみだ」と認識できるようになる。

 他者との関係性の調整が難しいなら、自分の思想を書き表して、それに従って生きればいい。行動様式が想定できるのが信用ならば、その理念と目的と結果を明らかにすればいいのだ。なので、自分の行動様式に合わない思想信条に縛られるのは、かえって苦しむことになる。自分をよく観察して、どの状態が一番楽しくて苦労しない状態かを明確にしておきたい。外部からの経験や関わりの認知が存在を生むとしたら、それに根拠を持たせれば存在は強まる。生存戦略としての存在確立、進めていきましょう。

 「授乳カフェ怪文書」から始まった蘭茶みすみのnote執筆も、ついに半年で50本になった。正直、ここまで長く続いていくとは思わなかったので、自分でも驚いている。私は自分に合っていないことは続けられない。自然に書く気になれたのは、読んでくださった皆さん、感想を送ってくださった皆さんのお陰だ。ありがとうございました。これからも一緒に生きていきましょう。よろしくお願いいたします。そして…

 もしよければ皆さんも怪文書を書きませんか?

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