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羊角の蛇神像 私の中学生日記④
一時保護所で過ごした数週間。環境が変わって落ち着き、悲しい境遇の子どもたちがいることを知った私は家へ帰り、学校へ行くことにした。
クラスが変わったばかりの2年生の1学期のことだった。
学校に行けなかった私 1
結論から話すと、2日目から再び登校できなくなった。
そもそも、自分がなぜ学校へ行けなくなったのかを話そう。
うまく説明できる自信はない。
なぜならこれと言う具体的な原因が無かったからだ。
色々な条件が重なってしまった。
そう表現するより他にない。
私は小学校で5回転校をしている。
3年生の時に長崎から神戸へ来た。その後も2回学校が変わっている。
私には故郷が無いし、幼馴染がいない。
小学校を卒業して引っ越した先で中学校に入学した。
知らないやつばかりかと言うとそうではなかった。
その中学の校区に小学生の一時期住んでいたので、全体の半分ほどは同じ学校にいたことになる。
そうは言っても、たかだか2年程の短い期間のことであるから、名前を知らないやつも、話したことが無いやつもたくさんいた。
ちなみに、その小学校にいる時に、私は学校で失禁をしたことがある。小ではなく大きい方を。
休み時間にもらしたが、パンツの中を汚したまま2時間授業を受けた話もいつかしよう。
その事件のことをその頃の級友は知っていたが、中学で再会した彼らにからかわれるようなことは無かったのは幸いだった。
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学校に行けなかった私 2
私はいわゆる空気の読めない子だった。
幼い頃のASD(自閉症スペクトラム)的なエピソードを話そう。
5歳頃のことだった。家で探し物をしていて、母から押し入れの右側を探すように言われた。
私は箸を使う手が右手だということは知っていたのだか、いざ押し入れの前へ行くと混乱してしまった。
私から見れば、箸を使う方のふすまが右側だろう。しかし、押し入れ側からすれば、それは左側になるのではないか。
もしかしたら賢すぎたのかも知れない。
私はこういう、物事や状況を過剰に分析したり処理することで起こるエラーを「認知のOver Drive」と呼んでいる。
人の名前を覚える時に、その人と他の人との名前の関連性に引っ張られて咄嗟に言い間違えたりする。
姓に「山」が含まれているとか、そう言う簡単な関連性ではない。うまく例えることができないので説明を省くが、自分の中ではなんらかの条件的なものがあり、勝手に誰かと誰かを混同したりする。
単なる言い間違いではないことをしつこく強調したい。
ルールがあるのだ。
子ども時代のASD的なエピソードは、数え上げればキリが無い。それらについても機会があれば紹介したい。
ちなみに診断はされていないし、診断が下りるほどではないと思っている。
発達障害とは、白か黒ではなくグレースケールなものであり、定型と呼ばれる人たちにも多かれ少なかれそれらの傾向はあるが、私はかなりASD的な傾向を持っている。
さて、そういう「押し入れの左右」で引っかかってしまうような思考特性を持つ私は、他者交流においても苦労する子どもだった。
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学校に行けなかった私 3
発達障害とは、次のような障害を言う。
ASD(自閉症スペクトラム)
ADHD(注意欠如・多動症)
LD(学習障害)
前述したように、診断が下りていない、定型(健常)と言われる人たちの中にも、これらの傾向は多かれ少なかれある。
日常生活に大きな支障が無ければ診断や支援を受けない人もいるし、「性格」や「クセ」という抽象的な認識のもと、家庭や地域コミュニティで成長し、社会生活を送る人たちはたくさんいるはずだ。
この、地域コミュニティというものは、実は偉大なものである。故郷や幼馴染を持つ人の中には、無自覚にその恩恵を享受している人もいるだろう。
空気が読めないとか、失敗が多いとか、暴れん坊とか勉強嫌いとか。そういう子どもたちでも昔から共に育った友だちであれば、お互いに許し合えたり、対処法を心得ていたりするのではないか。
生まれ育ったコミュニティの中であれば、失敗の多い子どもでも、大人たちに可愛がられ、助けを求めやすいのではないか。
保育園
幼稚園
小学校1年
小学校1〜2年
小学校2〜3年(ここまで長崎)
小学校3〜5年(ここから神戸)
小学校5年(宝塚で3ヶ月)
小学校5〜6年
中学校
転々としてきた。
私はちいさな異邦人だった。
子どもながらに思ったことがある。
転入生と元々いる子たちのストレスの差を数字で表すと、1600倍になる。
40人のクラスメートに1人で立ち向かう私に対して、彼らは40人の中の1人の気楽さだ。
即ち、次のような式が成り立つ。
40÷1/40=1,600
この計算への異論は認めるが、かつての私の異邦人としての孤独に少しだけ心を寄せてもらえればうれしい。
40人の好奇の目に晒されて、期待へのプレッシャーに押し潰されそうになった。彼らの失望に傷つく私の心の音があなたには聴こえただろうか。
空気が読めないやつなどたくさんいた。嘘をつき、自慢話をして嫌われるやつ。人のものを盗むやつ。不潔なやつ。学校で大をもらして、やーいやーいと囃し立てる友だちの輪の中で黒い涙を流すやつ。ああ、最後のは私だった。
100点満点な子どもなどそうそういない。しかし彼らは生まれ育ったコミュニティの中で、大目に見られる寛大さの中に多少は甘えることができたのではないか。
幸いなことに小学生の間は私にも友だちがいた。
しかし、中学生になると、「空気を読む」ということが、学校での生存競争の上で重要度を増すのだった。
かくして私は、自身の「空気の読めなさ」を足枷にして、そのサバイバルに敗れて戦線離脱するのだった。
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羊角の蛇神像⑤へ続く
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