玲音(れいん)
普段の生活の中から一瞬を切り取り、言の葉と写真という視覚言語で語ります
あなたはカメラを手にした時に撮りたいものはなんですか? スマートフォンのカメラの性能が目まぐるしいスピードで進化する昨今 しかし、ちょっと高い一眼レフカメラを買ってみると今までにない体験と写真を撮る楽しさを知ることができます ポートレートといわれる人を撮影するもの コスプレ撮影 花や景色、動物など 「いい」写真にはちょっとしたコツと知識が必要です そんなちょっとしたを知るきっかけになるための本になっています 本マガジンは発売されている自分の書籍を電子化したものになります
本を月にどれくらい読みますか?と訊かれることがありますが、ざっと40冊前後です。これが多いのか少ないのかはわかりませんが『僕』のひとつの考えとしてはとりあえず、この本はいいなと思ったら買ってしまうというものがあるのでそんな調子で買っていくと家にはドンドンと本が積まれていくわけです。 これがいわゆる「積読」というものです。 人からオススメされたり、本屋さんや神保町の古本屋を巡っていると手に取ってしまう本もあればKindleで買うもの、漫画なども含んでというものです。 また、図書
創作といものは何か 職業的にいうのであれば、誰かがほしいものを、誰かに必要なのではないかというものを作ってお金的に換金するためのものを創ること 芸術的なものでいうのであれば、自己の内発的にあるものを誰かに伝えるための表現するための行為としての創作があり、価値というのは自己から解放されたときはないのですが市場に出た時に、広告、希少性としての金銭的な資本的な価値を付与されて存在すること 現在においてはすべて創作というものは職業的なものとして扱われてしまう傾向があります。 S
自然というものに現代の社会においては適応する機会がなく、人はそこに適応できていないズレのようなものをしばし感じることがあります。 これはお互いの言語ゲームのルールが同じでコミュニケーションというものが成立する前提で様々な行いがなされてきましたが現代において、そうはいかなくなってきているように思えます。 それはこの自然というものが本来意識されて扱われてきたものとは異なり、現代ではデジタルというものにおける自然も出てきているということにあるからと考えています。 このデジタル
最近では社会の問題として人間の権利、公平性、平等というものを社会で扱いそれを利用しようとするものもいれば、経済的なものの新しい刺激のような使い方をしているようにも思えるのです。ここ最近の風潮というとこれらの問題を多様性とすり替えて耳障りのいい言葉にしてはそれらを人々という水面の水の中にインクを垂らしては波紋を作るような雰囲気になっているように思えるのです。 これらの波紋は円心上に広がっていき、そしてインクは滲む揺蕩うようにして人々の中に染み込んでいき希釈されていき、それが無
日本人というのはなぜ自己を持てないのか? 自分とは何か?と自己を思考の主体としての自我として保つことはできないし、自己自身の根拠を自己自身の内部に持つことができないのが日本人であります。 要は集団主義、和をもって尊すなどと戯言をいう人もおりますがこれがまずは間違いなのです。 別に日本人は集団主義でもなければ全体主義で「和」などというものを後生大事にして生きているわけではありません。 その根本は恥であり劣等性です。 人と同じことをしておけば出る杭として打たれないだろう、みん
最近は「悪」というものについて考えてnoteを書いています。 もちろん、この言葉に絶対の定義はなく、むしろ相対的な状態を、一時的なラベルのような役割をする言葉であるというのが今の『僕』の認識であります。 相対的と書いたのは必ず、悪があるならばそれを悪と言い足らしめる良い、正義があるわけです。 しかし、見る立場を変えればそれは変わってきますから相対的と言ってもいいでしょう。 言うならば、仮面ライダーの敵役であるショッカーというモブキャラは悪かということです。 仮面ライ
社会悪。自己責任に追い詰められる悪。ちゅうぶらりんな悪意。 現在においてはSNSがあるため様々な悪意に触れることができる。 これはテレビしかなかった時代とは異なる傾向で、様々な大小問わず、個人多数など異なる悪意を垣間見ることができる。 そして、双方向に自分たちのコメントを発信できるためそれが遠い他人事ではなく、さも近しいことのように扱われていき怒りを向けている。 これは悪意ではないが発言のしやすさという例を出すのであれば、個人が国に物申すということができるようになってきた
頑張ることはカッコ悪い ダサい 意識高い系と揶揄されている やらなくちゃいけないことはわかっている 現代の自傷型アノミーの自己妨害は、多くの場合、自身の内なる不安や恐怖が引き起こすものです。 これらの感情は自己実現を妨げ、個人の可能性を閉ざしてしまいます。しかし、その根本を理解し、適切に対処することで、『僕』は新たな道を切り開くことが可能です。 まるで試験の前に勉強をしなくてはいけないことがわかっているのに、やらずに部屋の掃除や漫画を読んでしまうような…… やら
悪が希釈され、敵がわからない社会について 現代社会において、「悪」の概念はかつてないほどに曖昧となり、『僕』たちはその輪郭を見失いつつあります。 これは単に個人の価値観が多様化したからではありません。 それ以上に、悪の存在自体が社会の仕組みに埋没し、見えにくくなっているからではないでしょうか。 悪というものを『僕』たちは希釈されていき、敵がわからない社会にいるのではないか、そんなふうに思えてならないのです。 まず、政治の腐敗やマスコミの変質はこの問題の象徴的な現象です。
ひとり遊び 独りでできるものというものは意外とある ゲームもそうだし、動画を見ていてもいいし、何をしても…… また本を読むというものがある 今の人たちにとってはとても距離があるものであることは百も承知だが、読書というものは自分の世界を体系的に広げることができるものである。 このとき、読書の世界に入り込むと自分という人間はそこに没入し独りになる。 文字を読みにいくという能動的な行動をしつつ、その本の世界を享受するという受動的なものを同時に行うものであり、その世界に入るためには
人は、誰しも時間の流れに抗おうとします。 人の時間は有限ですがあまりにやることが多すぎますし、やりたいことも出てきます。 少なくとも、『僕』はそういう感じの人生です。 これらをどのようにタスクとしてこなしていくのか、取りこぼしのないようにやっていくのかというのは自分で考えて試行錯誤するのは誰でもやったことがあるでしょう。 今回はそんな生産性の向上なんて言ってしまうとなんだかビジネス的な感じになってしまいますがそんなことの方法論を少し取り上げてみましょう。 本屋に行けば
成長する人としない人の心のあり方—「固定マインドセット」と「成長マインドセット」の深層に迫る 成長とは、努力と学びを通じて得られるものであり、そのプロセスこそが人間にとって最も価値のある経験となるべきだと『僕』は考えます。 しかし、すべての人がこの成長を追い求めるわけではなく、成長を拒む人々が存在することもまた、現実の一部です。 ここで重要なのは、成長を促す心のあり方、 「成長マインドセット」を持つ人と、逆にそれを妨げる「固定マインドセット」を持つ人との違いを理解するこ
悪の在り方について、最近は大きく変わってきたように思えます。 昔は理由ありきのミステリーがありました。 テレビの2時間ドラマだってそう。恋人を殺されたから復讐のために。 何かを誰かを守るために犯行に至る。 悪とはそもそも絶対的なものではなく、相対的なもので判断されるものです。 それらは"動機"となって必ず何かの理由が悪にはありました。 しかし、ここ最近は悪というものに関して理由がないように思えます。 なんとなく殺した。 別に理由などというものはただこじつけのようなも
コミュニケーションの技法と人間関係の本質 はじめに結論を述べます。人間のコミュニケーションとは、単なる言葉のやり取りではなく、相手との共感を育む行為です。 そしてその本質は、注意深く聞き、明確に話し、共通のつながりを築くところにあります。 つまりは人間の、人間同士の繋がりを求めるものであってのこと。 伝達とはまた異なるものであると考えておいた方がよいかと存じます。 この簡潔な指針は、デジタル化が進む現代において特に重要な意味を持っています。 話す技術の意義 まず、人はど
ありふれた人生 そんなものがあるのかと思うけど、一昔前ならば「昭和すごろく」のような人生をいうのかもしれない 子供の頃から学歴を最大化するための勉強に勤しむ いい大学へ行き、良い大きな企業へと就職するのをよしとする 若いうちに結婚をして男は家庭を持つ、女性は寿退社で家庭に入る 子どもが生まれて、マイホームとマイカーを買って35年ローン 男はハゲ散らかして必死に働いて一つの会社を勤め上げる 退職金をもらって年金悠々自適な生活を過ごして、子供に見送られて死ぬ 『僕』の若いこ
夢 これを持たないといけない風潮に小さい頃は戸惑った覚えがあります。 目標ではなくて夢というものについて 明確に達成されるべきものは目標になってしまうし、妄想してこうなったらいいなというものを夢というのか そういう定義のようなものから戸惑っていました。 夢は大きく 大きくするのであれば、ムーンショットのような扱いになるものを言っておけばいいのか そう考えてもしまうのですが、きっと叶うことはないでしょうから自分のどこかに置きっぱなしになってしまうのです。 そして、そのうち忘