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幸せと不幸を分ける嘘の違いとは?

嘘はうそでも人をしあわせにする嘘ならゆるされるべきである。

しかし、人を不幸にする騙す嘘はよくないからついてはいけない。

人を幸せにする嘘と不幸にする嘘の違いについて

人を幸せにする嘘の例
* 病気の人に「大丈夫、きっと良くなる」と励ます
* 落ち込んでいる友人に「あなたは素晴らしい人だ」と自信をつけさせる
* 子供に「サンタクロースからプレゼントが来た」と夢を与える
人を不幸にする嘘の例
* 上手くいっているカップルの仲を引き裂くような、浮気の嘘
* 自分の過ちを隠すために、他人に罪をなすりつける嘘
* 自分の利益のために、他人を騙して損害を与える嘘

違いの本質

人を幸せにする嘘は、相手のことを思いやり、勇気づけ、夢を与えるような善意の嘘です。一方、人を不幸にする嘘は、自分の利益のために他人を騙したり、傷つけたりする悪意のある嘘だと言えます。

嘘についての注意点

ただし、嘘は基本的によくないことです。その理由として:

1. 1つ嘘をつくと、それを隠すためにさらに多くの嘘をつかなければならなくなる
2. 善意の嘘でも、バレてしまえば相手を傷つけてしまう可能性がある

これらの点に注意が必要です。

この判断基準というものをどの視座に持ってくるかでこの価値は変容するようにも思えるのです。ということは、この言葉自体が意味をなさないのではないかとそんな風にも思えてくるのです。
しかし、もしこれが成立すると仮定してあることを考えてみようと思います。

自分がSNSで知り合った人に心を救われたとします。
それがbotつまりはAIだったときに人は裏切られたと思うのでしょうか
これからの時代は人とbotの違いを見分けることすら難しくなってきます。
そのときにどのように人間である『僕』たちは心を持てばいいのでしょうか。

この人間だと思っていた先はbotでAIだったときに、それでも自分を救ってくれてありがとうと思うのでしょうか
それとも、自分が人間だと思っていた先はbotというAIに裏切られたという怒りの感情を持つのでしょうか?

もっと問題を簡単なものにズラしてみましょう。

とある美しい写真がふたつあって。
1つは生成AIで創った富士山の頂上からの雲海の写真
もう一つは本当に山に登って富士山の頂上からの雲海の写真

どちらも言われなければわからないクオリティで、どうやって撮られた写真かはいわないで人にどちらの写真がいいかとアンケートをとると生成AIの写真が多くの票をとるとします。
しかし、次にそのどう作られたかというストーリーを話すと本当に撮った写真を美しいといいます。

このときに写真という作品自体は美しさというものでの評価をされるべきなのでしょうか、それともその創られた物語におもきを置かれるべきなのでしょうか

『僕』たちはこの価値というものについてどのような基準で考えるのかということを感情を抜きにして行わなければならないのです。
このときの自分たちの価値はどこにあるのでしょうか?
また、好き嫌いなども含めての価値判断とはどのようにされているのでしょうか?

これからは自分でどのようにその価値の規範を持つのかまたは、そんなものを考えないようにしてやっていくのかはわかりませんが少なくても意識をしておく必要はあるのではないでしょうか


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