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歳を重ねて親の小さい背中をみて

親の背中をいつもは見れないのです
しかし、ちょっとしたキッカケに後ろからみたときに
小さく感じる時があるのです。
こんなに小さかったかなと感じますが、それはその時間を重ねただけであります。

なにか特別なことはなくても、ふとした時に感じるそういう抒情的な瞬間はふと寂しくも感じることがあります。
そして、自分が歳をとったのだなと感じるのです。
親という身内がいることは当たり前である。
しかし、それが時が経てば変化をして人の死、喪失を経験するとき人は空虚感を感じてしまうのです。

自分が大人になったと感じるのは経済的金銭、自分の年齢の数字の増加がそうさせるわけではありません。
大人になるとは、自分の行為の責任をひとりの人間と背負うところにあり、この責任を拒否、または転嫁することはできず、また許されないのです。

そして、その責任の範疇には自分だけではなく一番近い他人である家族にさえ適用がされていくのではないでしょうか
人間という生物や人間の関係の在り方というものは、どんなに世の中が便利になったとしても変化をしないものです。

異質な価値観やその多様な家族の在り方が出てきたようには見えますが、それはSNSなどの個人の声が見えやすくなったものの影響であり、世の中の何かのせいというわけでもないでしょう。
人間には人間が必要ではあるのです。

しかし、それは人間だから必要なのか
それとも、人間的なものを人は必要としているのか
ここを最近は色々なことを通して考えています。

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