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最近気付いた大事なこと

仕事についてつらつらと。

必要なことを効率的に実施できる仕組み、体制作り

昨月時点で受注も売上も未達。来期の見込みも薄い。このままいくと部門存続危機。でも来期も組織は大きく変わらない。ということは今の状態でも稼げる方法を工夫して考えるしかない。
更に言うと、本来最優先ミッションであるはずの新規市場開拓も、今のままでは難しい。メンバー全員既存市場で手一杯。手をかけなくても数字を作れる仕組みを作って地盤の数字はそれで稼いで、誰か一人でも新規市場への拡販に注力できる組織作りをしたい。
あとは業務が少数人に偏りすぎている・・・たまたまタフな人がそれを受けていて(大抵できる人は良くも悪くもみんなタフ・・・)、現時点ではまだ倒れてはいないけれど、本人曰くずっと追い込まれていてつらい状態。
私から見ているとその方はその状態を、同じチームになる前から数えるともう10年以上続けている。仕事が好きな人ではあるが、もう少し楽にしてあげたい。もしその人が倒れたら、本当に数字が上がらなくなってしまう。
あと、日頃大事にしてくれている上司の肩の荷も、少しでも良いから降ろしてあげたい。きっとかなりのストレスを抱えて居るであろう状況下でも、日々真摯に向き合おうとしてくれる姿勢には本当に頭が下がる。

やはり一つは規格化なのだろうか。カスタマイズが主で、それを強みにしつつ重きを置いている我々だけど、それをやるだけでは手間がかかりすぎてしまう。強みを最大限に活かすため、そちらにリソースを割くためにも、自動的に(とまではできないにせよ)手間をかけずに売れる物が必要。
正直営業の個人スキルにもかなりの差があるのは事実なので、言ってしまえば誰にでも売れるようなものを一つ二つ作ることができれば・・・そうやっても無理な人は無理なのか?
あとは先日上司と話した通り、営業が負担に感じている作業を排除・軽減することも必要か・・・

新規と既存で来期どの程度狙うかというのを、そもそも新規と既存の引合、受注がどの程度なのかという結果が見えていないので今はまだ検討できないのだけど、来期はその目標に従って試験的にいくつかスモールスタートで試してみるしかないな。その作業ができる状態になるまでの間は、施策の要素を洗い出せるようにしておこう。

あと新規市場からの引合数がまだ分からないけど、今期も決してなくはない状態ではあった。その中で、どうして実績を作れないのか、浸透できないのかも考えないと。(個人スキルと言われたらそれまでなのだけど・・・)

圧倒的な知識・経験不足

私には自由な発想が乏しい。上記のような問題を解決しようと思った時に、考え方はきっと色々ある。例えば問題→課題→解決策というシンプルな枠組みの中で検討するのも大切だし、はたまた書籍を参考に類似する課題と解決策を自社に当てはめて試してみるのもよい。しかし時に、何もないところからふっと生まれるアイデア、「分かんないけど、これとこれを組み合わせたらもしかしたら面白いのではないか」といったある種直感的な感覚から生まれるアウトプットが、思いもよらない結果をもたらすこともある。

そういう発想は、多分その人が今までに培ってきた知識と経験から生まれる。それらによって無意識のうちに考える軸や要素が備わって、そこから突拍子もない(良い意味で)考えが出てくるのではないかと思う。
私にはそれらがなさすぎる。そういう柔軟な発想ができなくて、今はまだ地道に理論的に考えるか、一般論のまねっこまがいのことしかできていない。別に発明的なアイデアを出そうとは思っていない。でも、もう少し自分の頭で考えてひねり出せないか。決して今まで考えていなかった訳ではないけれど、もっとオリジナリティのあるアイデアを生み出せないか。

守破離の考えを私はよく引合いに出すのだけれど、マーケティングをやり始めてもうすぐ丸3年、ド素人だったためにまずは何かの真似をするしかなかった。それでは物足りない、と気付いた今、もしかすると守から破への移行期間に入ったのかもしれない。

知識不足は今までの怠惰のせい。市場と顧客を知るという、マーケティングをやる上でも最も基本的なことができていなかった。もっと言うと、せっかく現場に出る機会があった最初の4年半、私は「こんなはずじゃなかった」と目の前の仕事に向き合わず、何の努力もしてこなかった。そのしわ寄せが今来ている。なので今更だけど、もの凄く基本的な市場情報、顧客情報をこの夏は少しだけさらった。まだほんの少しで、しかもせっかくやったのに既にもうあまり覚えていない。こういうのは一朝一夕でできることではなく、何度も繰り返し繰り返し学習して習得するものなので、努力が必要。
知ってそこに合わせることからビジネスは生まれる。もっとそこを強化せねば。(業務過多の時期にどこまでできるかがこの次の課題・・・)

物事の客観視

先月までの季節性業務過多が落ち着いて、一瞬向かう方向が分からなくなってもやついた時もあったけど、割と落ち着いて仕事ができているここ1ヶ月ほど。これは多分落ち着いているからこそのことなのだけど、前のめりではなく少し引いた感覚で物を見たり話ができたりしていた。

季節性業務過多の時は、どうしても攻撃的になる。戦闘モードというか。アドレナリンがめちゃくちゃ出て、神経がとがり始めて、物事に対する善し悪しへの反応がかなり過敏になる。そうしないと連日連夜の業務に自我を保っていられないからだと思う。
今はそこまで多忙ではないので(帰りは相変わらず遅いけど、毎週休日出勤するほどではない)、物事への反応も少しマイルドになっている。感覚的には、こういう時の視野は比較的広い。置かれている状況、関わる人の思い、事象の背景、そういったことを汲み取ろうという気になれる。可能な限りこの状態をずっとキープできれば、と本当に思う。

先日後輩から、「良くも悪くも素直」だと言われた。仰る通りで、本当にその時の状態や思ったことが隠せず表に出てしまう(しかも無意識に)。制御できない。だとするともうそういう自分と付き合っていくしかない。

良い状態の時は、そもそも人のことを悪く言うのもあまり好きではない。言った後に、一つ大事なものを失った気がして、自分が凄く嫌になる。でも心がすさんでいる時は、言葉遣いも悪くなるし(もはや暴言)、かなり嫌味も言うし、その時はそれで良いと思っている。多分その時は自我を失っている。その証拠か分からんが、冷静なときにその時のことをあまり思い出せない。

一年前に比べたら、大分感情の起伏は落ち着いては居るけれど、それでもやっぱり、相手の努力不足で甘えられたりとか、筋の違うことを言われたりすると腹が立つので態度には出る。

何を言いたかったのか分からなくなってきた。
とにかく、自我を見失ってしまうような状態にならないように、なるべく引いて物事を見たいという話だった。難しいけど・・・


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