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マルクス史観 再考

 世界史の歴史とは理性的自由が時間的に歴史として、次第に実現されていく過程ということになる。これはドイツの哲学者ヘーゲルの理論で、従来歴史は出来事のつながりと思われていましたが、ヘーゲルは実は一定の法則に基づいていると喝破しました。自然・歴史・精神の全世界を不断の変化・発展の過程としてとらえ、これを絶対精神の弁証法的発展とみなし、それを学的に把握するのが哲学であるとしたと難しい歴史本では言っていますが、「絶対精神が自由の実現に向けて向けて歴史を動かす」と言われたようにヘーゲルは今まで何かと国家や家庭を社会から分離した最初の人物と言われます。中世社会において王は神であり、国家は全てを支配するものでしたから。自由な市場経済は徐々に封建社会を呑み込み、国民国家誕生の引き金となります。
 しかし同じドイツの哲学者カール•マルクスはヘーゲルの考えを否定しました。「物質的な生産力や生産関係の変化が、歴史を動かす原動力となる」といういわゆるマルクス史観とも唯一史観とも言われます。生産力は技術の革新で向上しますが、生産関係は固定される。これが階級闘争につながり歴史は今まで階級闘争で、変革があったのだ。という事を主張しました。支配される側も封建社会では「一応」自分の利益を得ることができた(事もあっただけで全部そういう事例ではないですが)のに対し資本家によって働かされる労働者は疎外された労働を強いられており、その人間性が奪われている。だから資本主義社会は打倒され、共産主義を建設せねばならない。というものでした。東側諸国が倒れ、マルクスの評価は地に落ち、誰も顧みなくなりました。しかし主張している理論を見れば現代の虚をつく、進歩に対する課題を現代の私たちに突きつけています。

かつて週休一日制だった

 最近ではライフワークバランスと言われ、仕事はできれば定時。休日が多い方が良い求職者も増えました。リフレッシュする時間が増えた事はいいことです。バブル経済が始まる前は基本的に休日は日曜日だけでした。戦時中の月月火水木金金よりはマシかもしれませんが、例えば土曜日夜勤で日曜日の朝帰宅したら、それが休日でした。月曜日からまた出勤です。そうなのです。最近Twitterでは自称経営者の自慢話をわざわざお金払って聞いている人がいるのですが、それなら再現性が低い他人の経営論より労働者時代の人脈を生かして早く起業した方が良いですよ。他人には出来ることだけど自分にできない事はやってもらう。そのため自分にしかできない事は全力で取り組む。経営者というものは結局そこに行き着くと思います。経営なんか一切した事ない労働者の意見ですが。それでも他人に仕事を任せるのは経営者じゃなくても、管理業務にはある程度必要だと思います。
 さてバブル経済が崩壊してから、日本の働き方が変わってきました。取引先の不備、事務ミスの多さ、誰がどの仕事をやるのか明確に決まっていないので成果物がなかなかできてこない。自分がとりあえず自分の仕事をして最重要課題が何故か後回しになってしまう。メールがないので海外の取引がある人は遅くまで仕事をせねばならない、もっと言えばパソコンがないので顧客の管理も全てファイリングされた資料から探さないといけないと言ったそれはそれは仕事が長くなるに決まっています。だからバブル期において長時間働く人は仕事ができる人でした。多くの仕事を抱え、成果を出しているのだから。しかし90年台から2000年代、コンピューターの進化は市場経済を大きくしました。それこそ歴史では東側諸国の崩壊、それに伴う反共しか存在意義のなかった第三世界の独裁者の失脚、中国共産党の経済解放路線が市場経済を大きくしました。反面、共産主義に対抗した西側諸国の福祉国家論は多くの国で財政不安を招き、80年代からそれこそ2000年代まで続く新自由主義旋風が吹き荒れました。この時代になると生産性より経費削減が経営のコツと言われるようになっていきました。

働き方改革は生産性を上げるのか?

 さて日本企業は90年代バブル経済が落ち込んでも、製造業は世界と戦えていました。壊れにくくて、機能がいいというものが日本製の代名詞でした。トヨタ自動車に至ってはいわゆる「トヨタ生産方式」と言われる在庫は持たない、1人の従業員がいくつかのラインをこなせるようにする。不良品は無駄なのでエラーがあれば機械が自動に止まるなどとにかく生産性のための仕組みに変えたら、それが現在色々な会社が導入する結果となり現在は世界のトヨタと言われるようになりました。長年豊田市に住み、自身もトヨタマンでライン歴40年目の超ベテランに話を聞いたのですが、「自分が就職する頃トヨタは仕事を馬鹿みたいにやらせるところって言われてさ」と笑っているぐらいにトヨタは長時間労働が当たり前だったのですが、この方式でかなり改善され、そればかりか世界で類を見ないほど、年間休日の多さを誇ります。
 しかしこれには落とし穴もありました。いわゆる「生産性のジレンマ」というものでなまじ生産性が高い工場はその効率の良さから新しい製品を生み出す力を失ってしまうというものです。数々の失敗を経て作り上げた方法論は成功をおさめるとかえってその先進性に目が眩み、そのやり方に固執してしまうという事です。現在日本ではEV自動車開発は遅れていますが、その行く末は不透明な部分もあります。かえって新しいデザインが出すことが難しいトヨタはEV期待論はマスコミを使って潰しにかかるでしょう前述したトヨタマンは言います。「どうせ俺の定年は後1年だから、その後自動車産業がどうなってもいい。後1年なんだから。」

働き方は意思で変えられるもの?

 ヘーゲルの「労働」に対する考え方は働く事で承認欲求を得られる、これが真の自立・自主性を獲得すると主張しています。労働する事をプラスに捉えています。確かに労働は人生にハリを与えてくれます。ただ条件が悪いところで働く人にとってはこんな言葉を言ったところで何を言われるやら。マイクロソフトは週休3日制を導入して1人頭の売り上げを4割あげましたが、これはテック企業ならではのエリートと会社も効率化について理解があるところに限るような気がします。何を言っても備品買ってくれない、あるもので工夫してと言われる事あるでしょう。あるもので労働者もなんとか生産性を上げるのですが、最新機器のお金がかかるものが、あっさりその長年のやり方より生産性が追い抜かれたら••マルクスのいう生産手段が歴史を変えたと言われたら納得できるのですよ。マルクスを利用した職業革命家がマルクスの理論を権力の道具にしただけでそもそもマルクスもエンゲルスの援助で生活ができていたもの。「働くなら、もっと設備を整えてくれよ〜」と思ったのかもしれないです。
 冷戦時代はマルクスの歴史観は非常に重要で例えば私は一向一揆が盛んだった越前の人間で、親戚に加賀の人もいますが「百姓の持ちたる国」の実情は地元の地侍と本願寺の上級幹部が結合した仏教版和製十字軍だったわけです。そこに農民の意思はなく、あるのは他国の略奪による「生産性の向上」でした。マルクスは偉大な哲学者ですが、本当に地べたを這う階級の奮闘とそして案外ガメツなところは見抜けなかったのでしょう。普段大変な思いして日銭を稼ぐのだから、臨時ボーナスの時ぐらいは稼ぐ。一向一揆と現在のサラリーマンの考え方何百年かかっても変わらないかもしれません。奴隷は労働で自立を得るヘーゲルの歴史観も正しいです。ですが現在の労働者も、いやあの時代の奴隷や農民だって本当は物欲の塊だったのですよ。
 さて現代の社会主義運動の始まりです。もはや悪口の言葉になってしまった社会主義をもう一度叫びたいです。人間を人間として扱う。そのためにはどうしても、お金はかかる。好き嫌いではなく人間が生きる上で経費というものは削減されると嬉しくなく、増加すれば喜ぶものです。再分配という考え方は人類が多くの犠牲を経て勝ち取ったものでした。胸を張って新しい「令和の社会主義」と言ってほしいですね。そのどこぞの山本太郎は減税ばかりが正しいと思う、経済タカ派の新自由主義者に近い政治家なんですよ。生産性を上げて、みんなが裕福になりましょう。時代のゴミ箱に行った共産主義ですら、働けば好きな分だけ贅沢していいというイデオロギーでした。現在、自由な風潮なはずがレーニン主義のような道徳不寛容な時代です。保守派も案外レーニンやスターリンの世界観がお好きだと思います。案外あの人たちは何かの忠誠を求める人たちですから。

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