暮らすこと
「仕事と生活どちらを優先するか」みたいな提議は、大人になると様々な場面でままあります。
どちらかに天秤を傾けるような考え方は正直自分にとって重要ではなくて、心地よさを重視したバランスであればなんでもいいのかなと、割とざっくりとした価値観でこの数年は生きています。
標高700mの里山で生活するあいだも、人から問われたり自問してきた答えは、海士町に棲家をうつしてもそんなに変わることはありません。というかむしろ、この島の「生活」に重きを置く風土のようなものを、実はひしひしと感じながらも、そこに流されることは然程ない自分に少し不思議さを感じたり。そんな今日この頃。
とはいえ。
一緒に働くひとたちは、どんな思いでこの島で暮らし働いているのだろう。
目標を追っているのか、目の前の課題にひたすら向き合っているのか、実はシェアハウスの畑管理に命を燃やしているのか、休日の余暇をたのしむための仕事をしているのか。
自分の性分として、自問するのと並行して、仲間や島の人々にも必然と気持ちが向いていきます。
Entôで仕事をしている最中に、その人の得意とする部分が垣間見えて「これはものすごく格好いいな!」と感心や感動する瞬間に出くわすことが多々あります。たとえ苦手であったり慣れないことであっても、ひたむきな姿や真剣に手を動かしている姿にもグッとくる場面がたくさんあって、そういうことを見聞きするたびに同僚たちのファンになっている自分に気付くんです。そういえば以前に青山さんがぽつり呟いていたな。
休日にも関わらず、生き方の選択肢として仕事を常にすることが性に合っている人もいます。仕事と休日は完全に線引したい人、生活も働くこともイベントも色々ごちゃまぜが好きな人。休日だから休まなければいけない、という事もなく、別にそれを責められることも正直必要ない。
先に書いた、この島で感じる「生活」への過比重を感じるのは、地域活動にも積極的に参加して大丈夫という会社としての後押しも影響しているかもしれません。地域の運動会に出てそのまま直会に連れて行ってもらったり、清掃活動のお供をしたり。お陰で住んでいる地区で、年下から上は70歳代まで、飲み友達は順調に増えています…笑
Entôで働く人々は私も含め、多くは島外からやってきたIターン。
離島という状況下でのIターン比率には半年以上経ったいまでもまだ驚きを持っています。島の歴史やアイデンティティ、どんな経緯で今の海士町や隠岐が在るのか、島民のどの人が誰と繋がっているのか。一人ひとりが「在り方」のようなものを手探りしながら進んでいる感じ。
学びのなかで、暮らすこと。
そのなかに仕事も生活もあり、人との関わりや日々の営みがあって自分が存在していること。
特にこたえはないけれど、カタチのない感謝や感覚は大事にし続けたいな。
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