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この歳になったから来れたのかもしれない

実は昨日、山陰地域限定であの「未来をつくる島ホテル」の再放送が。
前回はアクセス殺到の末にホームページのサーバーが落ち、電話の鳴り止まない事務所で固唾をのみながら見守っていたのだけれど、今回は休日。自宅でゆっくり前回放送からの数ヶ月に想いを馳せながら観させてもらった(仕事だったスタッフは怒涛の1日だったかもしれないが申し訳ない)

放送のあった1月時点では正直まだ関わりの薄かったスタッフの面々。今では同じチームに居て、彼らのその日の調子や表情、すこしずつの成長を気にする日々。ほんの数ヶ月のことなのに、濃く慌ただしく色々なことにあーでもこーでも言っているうちに、なんだかすごく時が経ったような、あっという間のような不思議な感じだ。

初夏の頃 色合いがはっきりしていて冬とは別人のよう

共に2年目を歩んでくれるスタッフの募集もしているので青山さんからのラブレターにも是非、目を通してくれたら嬉しい。

はじめて海士町に訪れた昨年夏は、猫と暮らすという最低条件で最大限のハードルにより住まいが決まっておらず、Entôも開業から3週間と慌ただしい時期だった。夜に連れ出された焚き火でも、商店でも港でも、とにかく島のあちこちで見かける20代の若者の多さに圧倒されたのを思い出す。今となっては「大人の島留学」やインターンの受け入れに積極的なことが分かっているけれど、こんなに遠いしかも小さな離島に青春真っ只中であろう彼らが集まってくることの理由を当時はあまり知らなかった。

島には本当に若者が多い。ほとんどはIターンで来島理由は十人十色。いまは夏休みに入った島前高校の生徒も一緒に客室清掃をしている日々だけれど、この光景はかなり珍しいんじゃないだろうか。年齢も所属もプロもアマチュアの垣根も越えて、Entôはつくられている。施設のコンセプトHonestとSeamlessそのものだ。

船から見るEntôの新館NEST ゲストが思い思いに過ごしている様子にぐっとくる


「未来をつくる島ホテル」をあらためて観て、松本潤さんの「おじさんになったんだろうな」という呟きのあとに語った言葉に、確かに共感する部分があった。


「ないものはないということを

たのしめるようになった、という発見が嬉しい」


なぜ、この歳になって故郷の九州を離れて遠い島へ来たのだろう。

いまだに聞かれる「なぜ海士町へ?」への答え。語ると長くなるのでだいぶ要約した結果いつも決まって「たまたま」と答えていたけれど、まもなく1年が経とうとしている今は確かに言えることがある。
彼の言葉を借りるのであれば「ないものはない」をたのしめるようになったから来ることができた。

これまでも様々に論じられてきた偶然と必然の哲学こそあれど、この島へ流れ着いたことは必然かもしれないと、少しだけ信じている。

ゲストからの置き土産 すばらしい画力に圧倒された
汚れ落ちてないよと指先で小さく✕を送る春馬さん

年齢を重ねていくと、大切なものは少なくなっていくと何かで聞いた。
自立に執着して稼ぎを増やすことに捕らわれていた20代。30代になって直ぐ、自分のこの先を真剣に考える時期があり、本当に抱えていたいものは実はそんなに多くないと感じ始めた黒川温泉での暮らし。
日々の食べ物がおいしくて、誰かと交わすお酒がうれしくて、お客さんが喜んでくれる日々がしあわせで、もうそれだけで良かった。稼いだお金をつかうことも忘れてしまうぐらい阿蘇の大自然に委ねた数年間は、今となっては宝物だ。

これまでの苦労や悔しかったことも、コロナ禍での諦めも、ぜんぶ経たからこの島に来ることができた。と、放送を観ながら胸の奥の方でふつふつと湧いてくる言葉をこうして残してみる。

いつか丹後さんからお裾分けいただいた梅たちは熟成中
今夏大活躍の古い刈払機 たくましいが如何せん壊れやすい


「意志ある未来」というキーワードを最近耳にした。

なりゆきではない、自分ごととしてこの先起こる出来事を捉えてより良い方向へと切り開いていく。
島とEntô、観光のこの先を、これからの旅をまだまだつくっていきたい。

今夜はそっと、手帳の最後のページに自分の意志ある未来を残しておいた。

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