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お天道様と私は見ている

ここにきて、もともとバカ高い私の自己肯定感がさらにうなぎのぼりで天井知らずである。
なぜか。
そう、朝起きたら顔を洗って日焼け止めを塗るようになったからだ。

この至極当然のひと手間をきちんと日常に組み込むようになり、私はこれまで以上に「正しくちゃんと生きてる感」を手に入れた。
毎朝顔を洗う度ににんまり。
私、今日もやったよ!
人として正しく一日をスタート出来たよ!

清潔な顔を保湿して、日焼け止めを塗布してにやり。
みんな見て!
一日家の中にいるくせに日焼け止めで紫外線からお肌を守っているよ!
美意識高い系女子だよ!
きっと10年後のお肌が変わってくるよ!

突然のヤマトや佐川の来襲にももう怯えない。日焼け止めなんて無色透明だから、顔を洗っていない状態の私とたいした違いは実際にはない。
ところが、荷物を受け取る私はどこか誇らしげだ。
自信が私の表情及び姿勢を変えるのである。
太陽のキスを全身に浴び、ヤマト及び佐川の視線をさあ来いとばかりにがっぷりと受け止める。

顔を洗って日焼け止めを塗る。
自己啓発本を10冊読むより自己肯定感が容易く上がるので、まだやったことないよって方がいればぜひ試していただきたい。
…そんな奴いないか。


規格外のぐうたら人間である私にとっては「正しく生きている感」は大事な高評価ポイントだが、普段からそれなりに正しく生きている人はこの観点は除外して良いだろう。
要は自分を好きになれる環境を整えてあげることだ。

もともと私は、私がこの地球で息してるだけで上等だと思う程度には自己評価が高い。

別に仕事で目立った活躍をしなくとも、誰の役に立つでなくとも、母として、女性としてキラキラ輝いていなくとも自分に対する評価が下がることはない。

完全なる加点方式で生きていけるのはとっても楽で生きやすい。
(ところがどっこい、夫に対しては時折理不尽な減点方式パンチを繰り出す自分の人間らしさも嫌いじゃない)

そもそも「顔を洗って日焼け止めを塗る」のは、自分に加点するための取り組みではない。しかし、隙あらば自らに加点する人間である私は、勝手にこの取り組みを通して自己肯定感を上げているのだ。
ほんとに油断も隙もない。

そんな私なので、例えば他人に嫌われても大したダメージを受けない。
そりゃ生きてりゃ気が合わない人だって出てくるだろうさ。

相性ってやつは確実に存在している。
だから必要以上に気にしない。

結局私が一番つらいのは、自分に嫌われるということなのだ。
何故なら自分から逃げることは不可能だからである。

他人にいくら嫌われようとも最悪環境を変えるなりしていくらでも逃げる手段はある。ところが自分はどこまで逃げても地の果てまでも付いてくる。

自分というものは、絶対に縁を切ることが出来ないこの世で一番厄介な相手なのだ。

誰が見ていなくとも、自分は自分の言動を見ている。
私はなるべく自分を嫌いになるようなことをするまいとして生きてきた。

仕事で失敗したって、リモートワークをいいことに一日中パジャマのズボンで生活したあげくズボンのお尻部分に穴をあけたって、平日顔を洗わなくたって「にんげんだもの」と思える範囲ならば何も問題ない。

みつをの「にんげんだもの」は神が人に与えたもうた最上の赦しである。しかしながら、これ以上はないレベルの包容力を持ちあわせた、秘技「にんげんだもの」でもカバーできないことは誰の目がなくたって絶対に(いや、なるべく)しないと決めている。

例えば卑怯な手段で誰かを蹴落としたり、誰かを故意に傷つけるという方法でストレスを解消したり、社会のルールを破ったり、、
そういうことで得られる一時の対価よりも、これからの人生で支払い続ける後ろめたさという名の負債の方が大きくて割に合わないためだ。

誰が見ていなくとも、自分は見ている。
自分をだますことは出来ない。私は自分を嫌いになりたくない。

ま、自分を、というか自分の脳をだますことは比較的簡単に出来るのだそうだが、現状必要に迫られていないので私はやらない。

加点方式で生きる私は、自分を嫌いになることをしないだけで基本的にはご機嫌に生きていけてしまう。
しかし、「私、自分に減点方式しちゃって…」という方にはとっておきの方法をお伝えしたい。

分かりやすーい「善いこと」をするのだ。
それが善いことであると世間に認知されていればいるほど良い。
偽善かな…とちょっと不安になるくらいでちょうどいいかもしれない。
私にとって上記に該当する分かりやすい「善いこと」の一つとして寄付がある。

コンビニのお釣りの1円玉をチャリン♪でも全然いいと思う。
チャリンしたときに思いっきり自覚してほしい。
「私、今寄付をした!なんて素敵な人間なのだろう」
それが財布を軽くするのが主目的でも全く構わないのだ。

ただね~、寄付金集めるだけ集めて私腹を肥やしているような輩も一定数絶対いるから…。
こういうのがまさに上記で述べた伝家の宝刀「みつを」でフォロー出来ない後ろ暗くて最低な行為である。

そんな卑怯で情けないことしてる人がどうやって自分と折り合いをつけて生きているのか甚だ疑問であるのだが、魂汚れまくって、もう正常な判断ができないのだろうな。

そういう意味においては、自己肯定感が低いがゆえに悩んでいる人たちって、高潔な魂の持ち主なのかも…などと長文の独り言。
結局寄付している私が一番寄付を疑っているのではないか説。

というわけで、寄付じゃなくて全く問題ない。
自分に合った、自分と仲良しになるための手段を探してみるのもいいかもしれないね、というお話でした。



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