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交通事故で搬送された老人病院の話

18を過ぎてまもなくのある日。
原付で、近所のコンビニまで買物に行った帰り。交通事故を起こした。
信号の無い小さな交差点で、車との接触事故だった。

「大丈夫、大丈夫」と呻いていたらしいが、記憶は無い。(たぶん大丈夫じゃないよね。w)
救急車で運ばれたらしいが、全く覚えていない。
気がついたら、病院のベッドの上。
頭を打ったためか意識が朦朧としていて、何日も眠っていたような気分がしたのだけれど、それほど時間は経っていないようだった。

軽い頭部外傷と、鎖骨骨折。
手術は全身麻酔だった。気管挿管の管が苦しくて、目が覚めてすぐ、外してと喚いたこと。痛みが強くて眠れなかったことを覚えている。
鎮痛剤はなかなかもらえなかった。

救急車の搬送先は、いわゆる老人病院だった。
術後数日は、ナースステーション横の観察室にいた。
翌日、カーテン1枚隔てた隣のベッドのおばあさんが亡くなった。
隣の会話は全て(家族の話す葬儀や遺産の話まで)きこえていたけれど。
訪室したおばさんナースはわたしに言った。
「隣のおばあちゃんは、急に良くなって、退院されたの。」と。(ーー;)

ギプスで固められた上半身と引き換えに離床の許可が出て、一般病棟に移ることになった。
移った一般病棟は、ひどかった。
音だけで全く効かないエアコンは、夕方になると切れた。親が扇風機を持ってきてくれたけど、暑くて眠れず、夜の病院を徘徊した。

周りは、寝たきりの高齢者ばかりで、若い患者はどこにもいなかった。
モニター音やアラーム音、あちこちから聴こえる呻き声。
夜中、何度も隣のベッドのアラーム音に起こされた。アラーム音は鳴り続け、コールを押して呼ばないと誰も来なかった。

「うちは完全看護ですから。」と、おばさんナースは言った。
家族の付添いは要らないと、母は帰された。
上半身を装具で固められ、利き手の右手が使えないので、はじめは食事をとるのも大変だったし、入浴も介助が必要だった。
おばさんナースの介助は無遠慮でとても雑だった。

病院には看護学生もいた。
昼間は病院で仕事をしながら、定時制の看護学校で学んでいる彼女たち。
わたしが通っていた通信制高校には、衛生看護科もあって、准看護学生の知人が多かったこともあり、親近感がわいた。年齢が比較的近いこともあり、会話ははずんだ。

おばさんナースに対するグチ聴きからはじまって、その日は話が止まらなかった。勤務上がりの学生ナースとふたり、人目を避けて、病院の裏口を出たところの、コンクリートブロックの上に座って話をした。

リストカットの傷痕を見せながら、涙ながらに彼女は話した。
仕事の辛さや、これまでの身の上話、彼氏のDVの話など。
彼女からするとだいぶ年下の、タダの患者のひとりのわたしに。どうしてこんな話をするのだろう。涙を流す彼女になんと声をかければよいのだろう。こんな深刻な話、聴いていても良いのだろうかと。どぎまぎしながら聴いていた。(当時はわたしもまだまだうぶだったのだ。)

翌日、彼女にどんな顔で会えばよいのだろうと、一晩ずっと悩んでいたけど。出勤してきた彼女は何事もなかったかのように平然としていて。
昨日のことは、夢だったのかもしれないと思った。
タダの患者とナースの、暑苦しくて長い、病院の日常に戻った。

その病院には長くはいなかった。
あまりにひどい環境だったので、親が病院を探してくれて。
1週間くらいで、転院することになった。

「入院生活の中の人間模様」に続く


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