3年前に縁を切った、大切だった友人へ
もうすぐ母の命日。
何も忘れていないのだろうけど、私は私の心を守るために、あの日のことを詳細に思い出すことを封印している。
それをきっかけに大きく変わったことのひとつが、ひとりの友人との関係だった。
私にはかつて親友と呼べるほどの大切な男友達がいた。発言や行動から察するに彼はINTPだったのではないかと思われる。
彼とはじめて出会ったのは小学校1年生の頃。
同じ1年2組のクラスメイトだった。
彼は休み時間になるといつも自由帳に複雑な迷路を書いていた。数ミリの道が続く角張った迷路は左上から右下までずーっと空白がなくなるまで細かく続いていた。
彼はまた、特撮モノの作品が好きだった。ゴジラやウルトラマンを自分で描き、それをキャラクターとして登場させた4コマ漫画を書いていた。
席が近くなるとそれを見せてもらったりするくらいの仲ではあったが、その頃はまだ特別仲が良かったというわけでもなかった。
その後、2年生・4年生・5年生でも彼と私は同じクラスだった。
ちなみに小学校は1学年5〜6クラスあり、およそ200人の同級生がいた。全校生徒は私の在校時のMAXで1100人を超えていた。
6年間で一度も同じクラスにならない同級生も決して少なくはなく、6年生になっても名前と顔の一致しない人もいた。
つまり6年間で4回も同じクラスになった人というのは激レアも激レア。普通は起こり得ないことである。しかし当時はまだ私も彼もそれに気がついていなかったのだ。
彼はクラスメイトたちからはイジられるタイプのキャラだった。表面的にはそれを笑ってネタに昇華しているように見えていた。お笑いが好きで、周りを楽しませることが好きだったように思う。しかし男子のいじりがヒートアップし、彼がブチ切れるということがごく稀にあったのも事実であり、実際本人がそれらをどう捉えていたのかはわからない。
私と彼は同じ中学校にあがった。
中学校では自分たちの小学校に加え、もう2校の合計3校の小学校が集まり、これまた1学年は8クラス〜9クラスのそれなりに大きめの学校だった。
小学校の時ですら同じクラスにならなかった同級生がいたのだから、さらにクラスが増えた中学校では仲の良い友だちと同じクラスになれる可能性はより下がる。
…たしかに計算上はそうなるはずなのだが。
彼とは中学1年生の頃、また同じクラスになった。
そしてようやく気がついたのだ。
「なんかうちら同じクラスになる確率高くね?」
この頃から彼と仲良くなりはじめた。
「小1.2.4.5で同じ、中1でも同じクラスということはつまり中2でも同じクラスになって、中3では別のクラスになるってこと?!
3の倍数の年だけクラスが離れるっていう法則だなこれは。」
ははは、そんなまさか笑
と冗談まじりに話していたがその予測通り、次の年の中学2年生でも同じクラスになり、中学3年生ではこれまたなんの因果かクラスが離れた。
自分でも書いていて嘘のようだが本当の話である。
実際、小中9年間でこの生徒数の中で6回同じクラスになる確率ってどのくらいだったのだろうか。
少なくとも4回でも同じクラスになれた友人はいなかったと記憶しているので、相当の低確率であろうことは計算の苦手な私でも想像に難くない。
下手すれば何万分の1の可能性すらある。
中学2年生の時に彼との距離は急激に近くなった。
私たちはいろいろな話をした。
お互いの好きな人のこと、進路のこと、家族のこと
お互いに特別な思いを抱いていたことは確かだと思う。それが恋愛的な気持ちであったかどうかはわからない。お互いにお互いの異性の友人の中で自分が1番近い存在であろうということに自信を持っていたようにも思う。そして何よりもその関係を壊したくないし、それを壊すほどの強い恋のような気持ちも持ち合わせていなかった。それは家族のそれに近しい感情だったのかもしれない。
彼には女友達がほとんどいなかった。
少し言葉に無神経なところがあり、周りの女子の中にはそれに引いていた人もいたが、私にはそれは特に問題ではなかった。むしろそういう彼だからこそ私は仲良くなれたのかもしれない。
放課後は特別な理由がなければ2人で帰った。
実は付き合っているんじゃないかと周りから揶揄されることもしばしばあったが、2人ともそれを気にすることはなかった。
私は彼と2人で帰るその20分が好きだった。
中学校を卒業し、高校進学ではじめてバラバラの学校に通うことになった。
それを機に彼と会う機会は格段に減った。
思えば中学の時も学校外で会うことはしたことがなかった。そもそも恋愛的な気持ちを抱いていたわけではなかったので、わざわざ約束をしてまで会うというような関係ではなかったからだ。
その後は半年〜1年に1回ほど連絡を取って会うようになった。会えば話す話は中学の頃と特に変わらず、時が戻ったように話すことができた。
高校を卒業し、大学に入ってもそれは変わらなかった。
彼があまりにも女性の気持ちの理解に寄り添うということができず、彼女いない歴=年齢 を着々と更新していることが私はずっと心配だった。いや、その頃はまだそれをおもしろがっていた。会うたびに毎回彼のそれをネタに一緒に食事するのがもはやルーティン化していたほどだ。彼は私に対しても無神経な発言をするので、「ほら、そういうところだぞ!」と言って私は彼に何年も言ってきたことをその時も笑って話していた。
彼にとっても自然体で会話できる女友達は唯一私だけであっただろう。それが嬉しくもあった。
その後私たちはそれぞれ社会人になった。
3年前、母が急逝した。
交通事故だった。
あまり思い出して気分のいいものではないので、記載はこの事実のみに留めておく。
実家から遠い距離に住んでいた私はその訃報を聞いてすぐに翌日の新幹線を予約し、
しかし翌日まで特にすることもなく、まずは地元の友人たちに葬儀の連絡をすることにした。
なんとか気を落ちつかせ、受け入れられない現実を頭では理解できる状態にしつつ、これまた今の時点では全く検討もできない「母の葬儀」に呼ぶ友人をひとりふたりと指折り数えた。
5人まで数える中には彼も入っていた。
彼もまた、今住んでいる場所は地元から遠く離れていた。
しかしこの2週間ほど前に、彼から次の転勤先が決まったのでもうすぐ引越しをするという連絡を受けていたのを思い出し、もしかすると一時的に実家に帰っていたりするのではないかと思い、とりあえず連絡してみることにした。
おおよそこのようなやり取りだったと思う。
とても悲しかった。
私を気遣う言葉はなにひとつ彼から出てこなかった。
今考えてみるとおそらく、彼は行けない理由を明確に述べることによって、行きたくないとかそういうわけではないということを暗に示したつもりだったのだろう。
だが私は彼の無神経で共感力の低いところがこれほどまでとは思っていなかった。
翌日私は大急ぎで実家に帰り、通夜から葬儀までは一瞬で過ぎていった。
葬儀の翌日、彼から電話が来た。
実はそれまでにも何通かLINEが来ていたのだが、私は彼の無神経さにイライラしてすべて無視していたのだ。私の心はそのとき彼の無神経について考えるほどのキャパシティは持ち合わせていなかった。
そのころ私は母のいなくなった家で父と弟と3人で過ごしていた。葬儀が終わり、一段落し、途端に現実味が帯びてきた頃だった。私たちは暗くなり過ぎないように逆に大したことのない話をしていた。それは家族が心を落ち着かせるためにとても必要な時間だった。
私の電話の通知音が鳴ったのはそんなさなかだった。スマホの画面を見て、彼の名前を確認した時、私はもはや怒りを通り越して呆れてしまった。私がどんな状況にあるのか想像することもできないのかと。
隣にいた弟も昔から彼のことは知っていたが、その名前を見ておもわず半笑いしてしまっていた。
父と弟がいる前で、電話を無視したりそれに大きな声で巻くし立てることも憚られると思い、私は一時的にリビングを後にし他の部屋に入ってからその電話に出た。
電話を切って、ふぅとため息をついた。
とりあえず冷静に話せた。よかった。
その後私は1週間ほど実家に滞在し、自分の家に帰った。
その間も彼からの連絡は止まらなかった。電話も含め何通か連絡が来ていたが私はすべて無視した。
もちろん私を気遣うような文面ではない。
ひとつでもあたたかいメッセージがあれば私はこうはならなかったはずだ。
今思えば彼はおそらく、自分が転勤のために引越しで忙しくて葬儀に行けないということで私が怒っていると思っていたんじゃないかと思う。だからそれを訂正したくて何度も連絡をよこしていたのだろう。そうだとしたら彼の行動は“自分が勘違いされたくない”というものに基づき、あくまでも自分の保身である。私のためを思ってなんかの行動ではない。いずれにしても的外れであることには変わらないが。
葬儀から1週間経ち、後ろ髪引かれる思いを残しながら私は自分の家に帰った。
それからまだ2日ほどしか経たない頃、またも私のスマホが鳴り響いた。その電話の主はもちろん彼である。
考えることが山ほどあり、心の整理がつかない中でも、私は彼の今後について思った。やっぱり彼は私にとって大切な友人だからだ。
私だって人の気持ちが理解できる方の人間ではない。だから彼をまったく理解できないというわけではない。しかし彼はその私ですらドン引きするレベルの共感力の低さであり、これは彼の今後の人間関係を危ぶむものであると思った。
彼の友人として、伝えるべきことを伝えるべく、私は意を決してその電話に出た。
あえて強い口調で捲し立てるように言った。実際は関西弁なのでもっとインパクトはあっただろう。しかしこうでもストレートに言わないと彼には何にも届かないしこれからも彼は同じことを他の人にも繰り返すのだろう、それだけはなんとしても阻止したいと思った。
そして彼からはその後なんの返信もなく、半年が経過した。
半年ぶりに彼からきたLINEはこうだ。
「ひさしぶり、元気?」
それから2年半が経った。
彼からは幾度となく連絡が来ていたが、そのどれもがこのような文面だった。私はそのすべてを未読で無視した。
私がなぜ返信してくれないかをまったく考えていないのか、それともわかってはいてもなんと伝えればいいのか迷っているのか、私にはわからない。いや、別にわかりたくもないというのが正しいのかもしれない。
そして、1年前の私の結婚を機に、彼からは一切の連絡が来なくなった。
私は今も彼からの謝罪の言葉を待ってる。
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