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諦めることは逃げだと思ってしまうなら、「受け入れてから強くなる」

こんにちは、けーじろです。

個人向けコーチングセッションをしています。


今だから話せる、僕の話をしたいと思います。

苦しかったけど、自分と向き合って伝えていきたい。

そう思って書いています。




僕の幸せって何なんだろうか。

子供が生まれた頃からだったかな。
僕が幸せでいることは、僕だけの幸せじゃないってことを知ったのは。


振り返ってみても、やっぱり同じ結果になっていたような気がする。

頑張ろう、頑張ろうって、毎日出社してたけど、それはもう限界だったんだ。


頑張ろうって、毎日自分に言い聞かせて生きている人がいたら、
言いたいよ。

「ホントは無理してるんじゃない?」

そこまでして手に入れたい幸せってあなたの求めることなのかな。



曲げない正義感の結末



子供が生まれたのは、ちょうど30歳の時で、社会的にも残業容認でシャカリキに働いていました。

当時の僕は、設計に携わる業務をしていて、図面をみたり評価をしたりと、技術畑でなくてもなんとか貢献できていることが嬉しくて。

ちょっとのことでは挫けずに過ごしていました。

でも、このまま過ごしていった先に、僕にはどんな未来が待っているんだろう。そう考えるようになりました。



設計者になる?実験・解析の専門家?どれもピンとこないものの、
一応英語が話せて、そこそこのプレゼン力はあったので、重宝されているのは嬉しかった。


でもこのままでいいのか、このモヤモヤってずっと続くのかな。



そんな中、僕は変化を求めて部署移動しました。

他部署だった上司に声をかけられて、
「一緒に働いてみないか?」って言われて素直に嬉しかった。




新しい環境に不安はなかったかと言われれば、そんなことはありませんでした。

全く新しい部署での経験値不足、先輩社員の辞職、上司とほぼ2人っきりの部署。

上司はもともと白黒ハッキリするタイプの、「超ストレート」な感じの人だったので、よく立たされて叱られている人達を横目で見ていました。



時々僕も、「結論は?」「何が言いたい?」って言われてたものの、
根が真面目の負けず嫌いなので、

「もっと伝わりやすく話さなきゃ」

と言葉を慎重に選ぶようになっていきました。



その時は、
「入ったばっかりだし、頑張らないと」と意気込んでいたんですが、
少しづつ歯車が狂い始めていたんです。




異変を感じたのは、まぶたの痙攣が続くこと。

最初は疲れてるのかな?ってくらいでしたが、徐々にその周期が短くなり。

仕事が気になって寝る前にPCを開かないと、
なぜか不安になってしまい、寝ても夜中に目が覚めちゃう。


そのあとにきたのが

「あれ、何か上手く言葉にできないな」っていう事でした。


何を話すのにも、言葉がどもるし、上手く言葉をつなぎ合わせられない。


「仕事を僕が止めちゃいけない」


そんな使命感はずっと持っていました。

でも。


僕が最後に覚えているのは、上司の前で手足の震えが止まらず、立ちながら涙を堪えて、必死に仕事の説明をしようとしていたことです。


そんなある日、朝のミーティング前に目の前が真っ暗になり、倒れて運ばれました。


病院の診断結果、身体に異常はなかったものの、1か月の静養と言われました。


まだやれるって


今思い返すと、やっぱり医者から何度も

「無理しないで」「ゆっくり休んで」

と言われていたものの、そのしんどい気持ちに蓋を閉じていたし、
そんなの弱い人間がなるもんで、自分はそうじゃないって思ってた。


強がりいって「この人何言ってんの?休んだら働くし」って。

倒れても、逃げるような自分を認めたくなかったんです。


でも、妻は気づいていたようでした。

当時の僕は、些細な事でイラついたり、子供に叱ることが多かったり、僕はよくうなされていたみたい。



1か月後、僕は部署に戻って働くのですが、明らかに様子がおかしかったようで。
その時には他部署の同僚も、僕の変化に気づくほどでした。


手の痙攣が止まらなくなり、
さすがの僕も「このままじゃまずいかも」

って気づいて人事に相談することに。部署移動をしたいと。


それで終わらなかったことに、その人事が上司とつうつうになって、全部僕の話が伝わっていました。


もう、何も見えませんでした。


僕は、どうやってそのあとをしのいだのか、今でもホントに思い出せません。

気づいたときには、車で泣き崩れて、帰ることができなくなっていました。




そして、診断されたのが適応障害でした。





何のために働いているのか


結局はこれに尽きるのですが、僕の経験したことは何だったのか。

もし、あの時「つらい」って言えれば、状況は変わっていたのか。


答え合わせはできません。


でも、限界だってことは認めてあげたかった。


周りに相談できなかったし、孤立して誰に話したらいいかも分からなかった。


何がしたかったのかな。誰のために働いていたんだろう。



半分は意地で、もう半分は働くことで家族を養っていくんだっていう使命感だったかもしれません。



身体を壊してまで、働くなんて誰が喜ぶんだろう。




この経験から得たものは


綺麗ごとを言うつもりはありませんが、今では当時の上司に感謝しています。

苦しかったけど、僕は僕を認めることが出来ました。
今じゃ、すれ違ったときも、普通に会話できる。


ここにたどり着くまでに、必死に何度も何度も当時を振り返り、
自分をもっと知りたい、そしてこの経験は決して無駄ではなかったと思えるようになりました。



決して誰かに同じ経験をしてほしいなんて思いません。






本当につらかったから。


だた、大きな財産があります。


それは、経験に勝るものはないということ。


全くの同じ気持ちを味わう事は出来なくても、全力で共感することが出来る。

環境が異なっていても、しんどい人の気持ちを理解しようとできる。

それくらいしんどかった事を、今では納得して消化できていると思います。



諦めることは逃げではない。受け入れてから、強くなるんだと思ってる。




弱いな。


そう、心無い言葉を浴びたこともありました。



勝手に言っていればいいさ。


僕は、頑張ったしこの経験を受け入れている。

出来ることはやってきたんだ。

僕が僕を認めている。



こんな僕の経験が、きっと糧になり、
僕を成長させれくれるから。



あなたが苦しんでいるのに、助けを呼べずに一人で閉じこもってしまうなら。こんな僕が味方でいれますように。
僕に助けを求めて欲しいな。

公式LINEで待ってます。


【けーじろの活動】

栃木県発、ライフコーチ
環境に依存しない「自分らしい生き方」を目指しています。
精神疾患を経験するも、復職してやっていける自信をつけて、
クライアントさんと、お話して心潤す個人のコーチです。
仕事・育児・介護の経験より、多様な生き方を実現する、
国家資格キャリアコンサルタント取得者です。


お問い合わせは公式LINE、DMなど。お待ちしております🐰


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