自分のために文章を書けば、幸せになれる。
noteを書き始めたのは2022年3月。
僕が文章を書き始めたのは、自分を知ってもらい・自分の商品を売り出すためだった。読書は好きな方だったけど、自分で発信したり文章を書くのは苦手だったから、真新しい挑戦だった。
始めの頃は、「何を書いたらいいのか」を模索することから始めて、そこから文字に変換するのに半日。更にほぼ一日かけて一つの記事を挙げた記憶がある。
読書感想文でコンクールに選ばれるわけでもなければ、どちらかと言えば苦手な文章書き。
それが2年とちょい続いている。
今振り返ると、続いた理由は一つだと思う。
文章を書くことで救われているから。
発信を通じて集客したい。その想いは今でも変わらないし、本当に有難いことにnoteで僕を知ってもらい、関わらせてもらうクライアントさんがいる。
本当に有難い。
ただ、こうして続けていくと、売り上げの為の発信活動という感覚が薄れてきている。カッコつけても仕方ないから言うけど、もちろん僕の発信活動にはビジネス要素は大いにあるんだが。
それに、やっぱり生きるためにはお金が必要。
会社員を辞めて独立した身としては、明日に何かが起こっても自分を信じて歩んでいかないと、頼れる福利厚生もなければ失敗してフォローしてくれる同僚もいない。それでもやってやるっていう、覚悟や想いは強くある。
独立したての去年は、それらが特に強かった。
でも、やってもやっても売り上げに繋がらず、どうして売れないんだ。ちょっとくらい問い合わせがあったっていいじゃん。そうやって本気で悩んで、文章にするのが苦しくなる時期もあった。
もともと、対面の営業に苦手意識があったこともあり、発信活動を武器にしたかったが、その活動にいつまでたっても芽が出ない。既に独立していた僕は、本当に焦っていた。
意地になって文章を書いたこともある。休職したことや精神疾患になったこと、大好きだった父との別れを文章にしようとすると、手が震えながら書くこともあった。
でも、売れなかった。
数か月無収入の時期も経験した。
自分への情けなさ、家族への申し訳なさを感じてしまっていたし、実際その時の僕はイラつきが顔にも行動にも現れていたと思う。
何の為に書いているんだろう。
やはり発信活動の壁は存在する。周りでは、しばらく書かなくなってしまった人もいて、「また仲間がいなくなっちゃった」と思うこともあった。
誰に向けて発信したらいんだろう。
何もかも見えなくなった時期があって、色々な想いからお世話になっていたコーチとも離れる覚悟をした。
何かを変えたかった。
僕はコーチのブログが大好きで、あの人みたいな文章を書いて、クライアントさんとの幸せな時間を過ごしたかった。だってコーチの文章に救われたから。
ちょうどその頃に、フィリピンへ出張に行く機会に恵まれた。
通訳の仕事だったけど、何かを変えるきっかけになれば良いな、と思って即答で決めた海外出張。
そういえばいつ振りの海外だったか。20代の頃にイギリスに住んでいたし、海外旅行は大好き。でも最後に行ったのは、会社員時代に中国に出張した4年前くらいかな。
実際には、フィリピンに行ったことで大きな気づきを得られた。
なんとフィリピンで僕のブログを読んでくれている人がいるということを知った。日本語は読めないので、わざわざ翻訳して読んでくれていた。
どう表現したらいいか困惑した僕は、「Really? Thank you」とだけ言ったことを覚えている。
「毎回読んでいるから、今度英語で書いて」と言ってくれて、それだけでフィリピンに来て良かったと思った。
僕の文章が、届いていたんだ。
帰国してからまず始めたのは、自分のnoteを読み返すことだった。そこには、僕がどこで、どんな風に、何を想っていたのかがずっしり書かれていた。恥ずかしくなるような文章もあったけど、これが良いと言ってくれる人がいる。それが分かったから全部読めた。何度も。
そして気づいたけど、未来のクライアントさんの為に書いているつもりの文章は、どうやらかなり強く僕のエゴが入っていた。
売れるために書き続けた文章。コーチングや対人支援が売れるまでだったり、発信からクライアントさんに繋がるまでには時間がかかって、時間差で効いてくるもの。喉が渇いたから、コンビニでちょっと飲み物を買う、という行為とはわけが違う。
それに何より、コーチとの相性が大きい。誰でも良いわけではないし、クライアントさんの大切な時間を頂くわけだ。バーゲンセールのように安価で購入して、「やっぱ違ったな」という事は避けたい。
僕という人間を発信を通して知ってもらうことが、どんな型にはめた文章であっても、絶対不可欠になる。
そこで気がついた。
僕の文章がエゴが強めだったとしても、相手に「○○しないと」や「絶対こうあるべき」と言った悪いエゴは含まれていないこと。「僕はこうしたい」「こんなとき僕ならこう思う」という自分発信をしていて、そこに共感してくれれば読んでもらえるし、連絡もらったりコーチ・クライアントの関係になる。
自分の弱さも含めて、これでもかってくらいに自分発信をすることできつかった過去の経験や想いが、文章になって浄化される。
そこにあったのは、「そんな自分も僕らしい」という自己受容だった。
「書くこと」は、ビジネスの発信活動の一つであったはずなのに、書くことで救われているのは僕自身だった。
発信活動に時間差があるって書いたけど、自己受容に時間がかかるのも同じことなんだってこと。改めて気が付いた。
そう思うと、続けてきた「書くこと」が誇りに思うし、その行動や自分自身を認めることができて、「自分の事が好き」になれた気がした。
まだ見ぬクライアントさんに届けと思って書いていた文章は、何より僕自身の大切な財産になっている。自分の為に書けない文章は、誰にも届かない。
そこに気が付いてから、ようやく当時のコーチに言われていたことの意味が理解出来た。
「藤田さんの文章、ホンっと面白いですよ」
当時は、書いても書いても読まれないし、「どうせ売れないじゃん」って諦めもあった。でも不思議で、売り上げが上がることと、幸せになることは、イコールの関係じゃない。
「売れるから面白い文章」ではなく、「自分のための発信活動」が結果的に共感や購入に繋がるんだと理解した。
そのことに気が付いてからも、しばらく文章書きを続けていくことで、セッションの問い合わせを頂くようになった。
「売れるために文章を書く」のでなく、「自分のために書こう」と思ったら、自分もあなたも幸せになれる。やっぱり「書くこと」は止められない。
自分のために文章を書くことで救われている
AIが進歩しても、翻訳機器が人の繋がりを近づけたとしても、僕は「書くこと」で心の繋がりを発信していきたいと思う。
自分のための文章が、あなたにも届きますように。
読んでくれてありがとうございます。
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