「ウクライナ危機」から私たちは何を学べばよいのか
学校を平和の砦にしていくために
東京大学大学院教授 小玉重夫
問われる民主主義
ウクライナ問題で、民主主義について改めて考えさせられました。共産主義・社会主義圏の20世紀の思想的な遺産として、平等の実現や貧富の差の是正などの問題提起には一定の意味があると思いますが、全体主義や独裁という民主主義の根幹を脅かす国の体制をつくってしまった。それが21世紀になっても尾を引いています。
私たちは、20世紀の全体主義を十分克服し切れていません。民主主義とシティズンシップをどう考えていくかは、学校教育でも社会でも非常に重要な問題です。
学校を平和の砦に
これまで日本では平和教育の議論や実践の蓄積がありましたが、戦争と向き合うとはどういうことかについては議論が十分に深められてきませんでした。さらに、戦争と向き合うなかで平和をつくっていくことの可能性についても、これから理論的にも実践的にも深めていかなければなりません。
その際、学校を平和の砦とするという考え方が重要です。学校が、諸民族などさまざまなアイデンティティをもった人たちが集う場になっていけばいくほど、学校が紛争の場ではなく、平和の場となっていく可能性が高まります。
ですから、私たちは学校を紛争の原因にしていくような改革ではなく、平和の砦にしていく考え方をしなければならないのです。
現在、日本社会にさまざまな国や民族の人たちがいるにもかかわらず、学校ではまだそれを積極的に位置づけられていません。もっと、ともに学んでいける状況を促進していく必要があります。
探究のテーマに
学校教育全体で子どもたちの探究を大切にしようとしています。これを契機に、管理職も教職員も子どもたちも、ともに探究していく学校を考えていくことが重要であり、その探究のひとつのテーマとして戦争と平和と教育の問題を取りあげてほしいと思います。授業や学校行事、学校間連携などさまざまな場面で考えられます。
また、ジェンダー平等の実現も日本では大きな課題です。ルワンダの例に見られるように、ジェンダー平等が進むと経済の発展や平和の回復につながります。日本も、社会や学校教育でいっそう進めていかなければなりません。
教育と紛争の関係を考えるきっかけに
東京大学大学院教授 北村友人
子どもたちへの関心を
戦争が長引くなか、子どもたちはどんどんつらい立場に置かれています。大人は戦争をどう止めるかに目が向きますが、戦禍のなかにいる子どもはもちろん、非戦闘地域や国外に逃れた子どもたちに対して、国際社会が関心を持ち続けることも大切です。また、その子どもたちが「失われた世代」にならないように、ウクライナの教育をどう維持していくのかも、今から考え始めなければなりません。
他方で、世界中で紛争が起きています。ミャンマーで、軍事政権の弾圧を受けている人たちやロヒンギャ難民の方々が苦しんでいます。中東やアフリカでも同様です。ウクライナで起きたことをきっかけとして、私たちは世界中の紛争に関心をもち、とくに子どもたちの存在を忘れてはなりません。
自分事として
これまで紛争と教育の関係はあまり語られてきませんでしたし、とくに日本では他人事のような受け止めがありました。『ウクライナ危機から考える「戦争」と「教育」』が、私たちがこの問題を自分たちに引きつけて考えるきっかけとなればと思います。そのうえで、教育という営みの問題そのものについて、先生方や中学生・高校生の関心を高める機会になればと願っています。
SDGsが喧伝されていますが、持続可能な世界はそもそも平和でなければ実現できません。日本では戦後、必ずしも日常的に平和について考えたり語ったりしてきませんでした。70年以上も平和が続いているのは幸せなことですが、SDGsのキーワードにもあるように、世界で起きている諸課題を自分事にすることが大切です。
また、教育は、人間が人間らしく生きられるようにするための最も基本的な権利であるということも忘れてはなりません。紛争はその権利を侵害しているのです。
他方で日本でも、紛争状態でなくとも社会経済的な背景により、日常の諸場面で教育の機会を十分に得られない子どもがいます。本書は、権利としての教育を考えるための入り口にもなります。
本書は、高校生にも読んでいただけるようにつくっていますので、学校現場でも探究の時間などで、紛争と直接関係のないテーマであっても、ご興味をもたれたところを深掘りしていくような読み方をしていただければと思います。
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