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【できない兄が羨ましい】知的障害を持つ兄に憧れ・葛藤しつつも乗り越えたお話

何においてもできない人・うまく行かない人は、できる人が羨ましいと感じると思います。

人生で誰もが1度は感じたことがある葛藤でしょう。

勉強ができない人は、勉強ができて成績がいい人に憧れる。

運動神経がなくてスポーツ音痴の人は、運動神経が良い人に憧れる。

仕事で成果が出ない人は、成果が出ている人に憧れる。

一方で、できないことに憧れることってこれまであったでしょうか?

できるのにやらないのではなく、できないのでやらないのです。

思い当たることはあったでしょうか?

あったとしても、最初のできる人に憧れるよりはなかなか少ない経験ではないかと思います。

今回は、できない兄に憧れた幼い頃の私の気持ちを書いていきたいと思います。


できない兄

兄は重度の知的障害者です。

大体、IQから知能年齢は3歳前後らしいです。

そのため、通常の年齢の人に比べてできないこともあります。

努力をすれば、ゆっくりでもできるようになることはもちろんありますが
現実的は難しいこともあるのです。

そんな兄を見ていた幼い私は、自分の方ができるという優位を感じることもありましたが、それよりもできなくて母に気にかけてもらっている兄や
できないからやらなくていいとなる兄がとても羨ましかったです。


その1つに学校での勉強があります。

基本的に兄の学校では宿題は出ません。

そもそも学校で習うものも違うからということがありますが
普通なら当たり前にでる宿題が、本人1人ではできないために出ないのです。

私は、習い事の前に必死になって終わらせるのに
そんなこともせずに家でグダグタしている兄が羨ましかったです。

受験もその1つです。

勉強で学力を測ることができないため、受験もないのです。

正確に言えば、受験は一応あったようですが、学力という受験ではなく
誰もが受かる試験だったようです。

私も一般的に比べて受験をしっかりしてきた訳ではないですが
中学受験を経験した私にとっては、誰もが受かる試験で入学できるなんて羨ましかったのです。

兄に障害があるとわかっていながらも、そういった兄の環境と自分の環境を比べてしまいなかなか納得いかないことや、兄の環境が羨ましいと感じることがありました。


「できない」から「しない」ということは、一見仕方のないように見えます。

ただ、知的障害という知能面の部分でできないことが多かったこともあり
それに対して幼い私は、私も好きでやっているんじゃないからやらなくてもいいじゃんと感じていました。


葛藤する私

そんな環境で羨ましいとか、自分もやりたくないとかたくさんの思いがあり、母に駄々をこねたり、泣いたり、怒ったり・・・と自分の感情を表に出すことも多々ありました。

ただ、だからと言って宿題や受験、習い事などやらなくてはいけないとされていたことをサボることはありませんでした。

葛藤しつつも、その感情を抑えやるべきことはきちんとやっていました。

なぜ、兄のことを羨ましいと思いながらも、葛藤しながらもやるべきことをやったのか。

それは、おそらく優等生でいなきゃと思う気持ちや、やらなくて怒られることが嫌だったのかなと思います。

だから、こういった感情や葛藤をどう乗り越えたかはわかりません。

ただ、兄と比べてやらなくてはいけないことが多いことにイライラする感情や葛藤する感情を時に外に出しつつも、何処か折り合いをつけつつ兄が知的障害者でありできないこともあることを理解して、自分と向き合えていたのかなと思います。


最後に

できない兄に憧れて、駄々をこねたり、葛藤をした時期もありました。

それを、どうにか自分なりに感情を処理して
やるべきことに向き合えたので、学生生活あまり変な道に逸れることなく
落ちこぼれることなく終えられたのかもしれません。

兄が「できない」ということで
学力や運動の面で、兄と比較されないといういい面もあったので
そういった意味では全てがマイナスな感情ではなかったと思いました。


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