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最近考えたこと


 最近、短期間でお仕事をさせて貰う機会があって。
自分なりに問いを持って、仕事に取り組めたような(気がする)。 

仕事とは何か。という問いについて。

今思うと面白いことだけど、1番最初にこの問いにとっかかる時、なぜか脳に拒否反応みたいな感覚があった。

仕事とは何か。という問いが全然受け入れられず、まず考えようともしなかった。何でだろう。
いまは何となく、やっぱり人のためになることが仕事だと思う。
人に喜んでもらうために行う仕事。これが今やっぱり自分に1番落ちてくる・合っている答え。
でも、なぜこれが今まで自分に落ちてこなかったのかを考えてみると、私が考えた。
一つの要因として、目の前に対象となる人物がいない中、終わりを目指して、時間を気にして、自分自身と問いながら行っている仕事だからかなと思う。
間接的に関わるからこそ実感が感じにくい。そして分からなくなる。
先日、直接的にお客さんや店員さんと関わった仕事をしてそれがまた強く感じた。

わっ、楽しい。っていう感覚も。


また最近、仕事とは全く関係のないところである方とお話をする機会があり、その方とのお話のなかで、

何かを相手にすることは、必ず直接的には自分にとって何か返ってくるわけではないけれど、それが一周回って誰かの役にたったり、ましては世界を良くすることにつながってると思う。

ということを聞き、さらに強く思った。
やっぱり仕事は人のためになることを行っているんだなあって。それと同時に私は間接的にその人との関わりを感じることが苦手なんだなあとも思った。

うむむ、、、。


あともう一つ。
高校生と大人の違いという問いについて。

この短期間で、お仕事をしたり色々な人のお話を通して、今の自分なりに1番納得する考えとしては、可能性、だなと思う。


人は1日経てば1日分の可能性を失う。

大人の方とのお話の中ででてきた言葉。
これを聞いた時になにか、感情がぐわっとくる部分が私にはあって。納得というか。人の寿命が限られてくるからこそ響く言葉だなって。また、人には、これから先にはまだまだ生きれる日数が、可能性があると信じているからこそ言える言葉だと思います。

もう一つ。
なぜ人は高校生の方が大人よりも協力してくれる傾向にあるのか。
個人の意見としては、やっぱり大人よりも高校生だったり比較的若い世代の方が、他の世代の人の協力が得られやすいのかなと思う。
協力しようとしてくれている相手が自分の現在以上に未来を期待、想像してくれてるからなのか。
という考えに自分は落ちついた。




考えることって本当に楽しい。
語彙力や言語化する力が全然ないからうまく表現できないけど。

心の中のモヤモヤがちゃんと形になって外へ出せる機械ないかな。

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