記憶を辿る27
『 酒池肉林 』
当時の高校生活の話もしようと思う。
入学した頃は留年組や気の合う逸れ者が居てくれたおかげで、まずまずの出だしだった。
しかしこういう人間達は夏を待たずして、1年を終えるまでに退学していく。
彼らがやめた以降の学生生活は、暗く終わりのないトンネルのような道が続いていた。
回想すれば、自分自身で”腫れ物化”していく行動をとっているのだが、当時はそんな事にまで考えは及ばず…
「誰々ちゃんと誰々くんが両想いらしい」「誰それ先輩と誰々ちゃんが一緒に歩いているのを見た」などで盛り上がる同級生が小学生のように思えた。
同級生が”くん付”で語りかけ、先輩に傍若無人な態度をとってもお咎めなし、
学生生活の醍醐味である行事に参加するはずもなく、
停学処分は可哀相だからと部活動に誘ってくれた教員の思いも踏み躙った。
二日酔いで朝イチの体育を見学しながら嘔吐、心配してくれた先生の指導を受け、
保健室で昼まで爆睡なんてこともザラにあった。
結果、高校生活の思い出は真っ黒に近い。
そんな高校生活ではあったが、中には奇特な同級生もいて、
幼稚だと思っていた連中との仲を取り持ってくれたりしていた。
地元の連中や彼らが居てくれたからこそ、かろうじて逸れきらず通学できていたように思う。
改めて感謝申し上げる。
デキモノとして通学する中、各校同じような境遇の連中が存在し、
それらを繋ぎ合わせたグループが学校外に出来るのに時間はかからなかった。
22話 でも書いた”R”が起点となり、夜な夜な繰り出したのがDJバーの Fish&Chips であり、高校生パーティだった。
学生生活の飛び抜けたエピソードで修学旅行がある。
長崎の観光地巡りや戦争体験者への慰問が盛り込まれた修学旅行。
何一つ面白みを感じない中、最終日は大阪南港行きのフェリーで一泊するスケジュールだった。
一般の方が入り混じる状態でのフェリー泊。
この事が後に大炎上を起こしてしまうことになるとは誰も想像していなかったに違いない。
観光地を巡った際、各地で土産物を買った子も多く、その中に”酒”が含まれていたのが元凶だった。
しかも最終日ということもあり、各自大量に持っていた。
自分用の人間もいたかもしれないが、自身で飲むつもりで買った人間はほぼいなかったはずだ。
少しヤンチャな女子が口火を切った。
酒盛りを始めたのである。
ただでさえ五月蝿い修学旅行生。
一般の方に配慮して大部屋に押し込まれていた私達は、教員の寝泊まりする部屋とは遠く隔離されていたのである。
後は好き放題、火は瞬く間に広がった。
横断歩道、みんなで渡れば怖くない。
この言葉にピッタリの酒池肉林と化したフェリー内は、無法者が集まっているであろうアジアの刑務所を彷彿させるような、手が付けられない状態へと化す。普段は真面目な男女までも飲酒して酔っ払い、意中の女の子や男の子に言いよる奴、航路である瀬戸内海の小島のようにできた各グループを渡り歩く奴、お猪口一口でぶっ倒れたり、喧嘩を始める奴が入り混じる。
先生が見回りに現れた時は既に遅し。
注意しようにも誰から手をつけて良いか分からない状態で、本来なら停学ものの案件がゴロゴロ転がっていた。全員を罰すると学級閉鎖ならぬ学年閉鎖になりかねない。
プレッシャーの強い先生が現れても沈静化は図れず、あれは困っただろうなと今となってはしみじみ思う。
そんな宴は日付を跨ぐ頃、自然と終焉の狼煙をあげていった。
後にこの修学旅行のプランは学校側の最大のミスとして一掃され、二度と遂行されることはなかったと聞いているが、肝心の私は宴の最中に勃発した友人の喧嘩が発端となり芋づる式に停学処分となっていた。
この発端となった人間もまた面白い奴で、それは次回の28話に記そうと思う。
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