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東日本大震災を経験して。Vol.2 〜ワインとの出会い〜

Vol.1の続き。

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復興バブル。
全国津々浦々様々な建設関係の業者が集った。
ただ、何十年と先の仕事を一気に実行してしまっているので、10年後は国からの予算も落ち着きその後建設関係は厳しいだろうとは囁かれていた。

この陸前高田で建設業はかなり重要な産業。

産業の衰退は街の衰退に繋がる。

仕事がなくなった建設関係の人たちはどうするのか?
高齢化が進む街でどういう産業を作れば良いのだろう?

ずっと気になっていた。

新しい産業を作ろうにも、その地域と親和性がないといけない。

何が良いのだろう、何が良いのだろう。
非常にフラットに、合理的に物事を考えて、陸前高田の要素を炙り出した。

そして陸前高田を俯瞰して見るために、10年かけて、日本中、世界中を回った。
それもただブラブラ回るのではなく、陸前高田と比較性のある地域ばかりを。

ここだからこそ、意味のある産業を作りたい、と。
「復元」ではなく「復興」なのだ、と。

自分の軸。

①その地域ならでは
②その地域と親和性が高い
③人の交流が多い
④建設土木関係の技術を活かせる
⑤外貨を稼げる
⑥将来性がある
⑦自分がやっていて楽しい

どの項目もクリアするというのはとてつもない難題。

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高校卒業後、哲学の名門、東洋大学に進学。
そもそも哲学が好きで、純粋に学びたかったのもある。
しかも生化学を学べ、食に特化した学科。
そのほかにもメリットがあり、行く理由としては一石五鳥くらいあった。

「衣・食・住」とは言うが、”食”を学んでおけばまちづくりのどこかで繋がりそう、という直感があった。
特にも一次産業が主軸の陸前高田においては。

自分の目的に最短距離なので、他人から見れば理解されないことはしばしば。
必要として、学んだことが今に活きているのであればどこで何を学ぼうがいいと思う派。

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そして20歳のとき、まさに出会いがあった。
カリキュラムでワインの講座があり、そこでワインとの出会いがあった。

訳のわからないフランス語ばかりで周りにはつまらなそうな人もいたが、私はとても面白くて熱中して学んだ講座だった。

なぜか魅かれた。
生産者ごとに哲学があり、地理や歴史や語学や科学が学べ、行かずとも旅行している感覚。一生飽きないなと思った。

そこからズブズブとワインの世界へ。

なので、とある1本のワインからワインが好きになったエピソードは私は持ち合わせていないし、家族は誰もお酒を飲まないので、ワインへの入りがかなり特殊。


そして「ワイン」と「まちづくり」ってとても相性が良いのでは、と気づく。

ふわっと思ったことだったが、陸前高田の要素を炙り出してみるととてつもなく相性がいいことに気づく。
・水産業が主要産業であるためにペアリングという概念が使える。
・果実酒免許はブドウだけでなくリンゴにも同じく使えるのでリンゴの産地を守ることに繋がる。
・盛岡や仙台といった都市部から片道2時間はかかる距離かつ宿も少ないのでオーベルジュ(宿泊型レストラン)も有効。
・リンゴが育つということはそもそもブドウも向いている風土。


さらに、ただ単にまちづくりのためにワイナリーを建てて戦略もなくブドウを植えるのではなく、かなり緻密に戦略が立てられる、ということに気づく。

まず、先述した7項目、
①その地域ならでは
②その地域と親和性が高い
③人の交流が多い
④建設土木関係の技術を活かせる
⑤外貨を稼げる
⑥将来性がある
⑦自分がやっていて楽しい

を満たせるだけでもワインはかなりの可能性を感じる。

特に、②の「その地域と親和性が高い」。

産業を創るにも企業を誘致するにしても、その地域にノウハウやインフラがないと難しい。

どの街にも得意不得意はある。
また、短所はやりようで長所に成るということ。

リアス式海岸は、津波が大きくなる要因になる。
だからこそ東日本大震災は甚大な被害が出た。
ところが、テロワール(風土)を常に背景にもつワインの元では、リアス式海岸であるということは、とてつもないメリットになる。
地形や地質は変わりようがないので、他に真似できない持続可能な産業になる。

そして重要なのは、ただブドウを植えるのではなく、アルバリーニョというブドウを用いることによって。


その地域の点と点が繋がり、面で見せていける親和性の高い産業でないとまちづくりとしては難しい。

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陸前高田はリゾートにするには向いている土地だとは思う。
海洋性気候で夏涼しく、冬暖かい。秋は長く、クーラーはいらない。
とても過ごしやすい。

綺麗で大きな砂浜もあり、昔はサーファーなども集ったと聞く。

私が生まれた頃にはそんなリゾート計画もあったらしい。
ただ、それをしなかったのはなぜなのか?
それがとても気になった。

私は基本的に自分の経験だけを信じる。
ただ、本や聞いたことを信じないわけではなく、それはあくまで一参考材料としてだけ。

「百聞は一見に如かず 百見は一考に如かず 百考は一行に如かず 百行は一果(効)に如かず 百果(効)は一幸に如かず 百幸は一皇に如かず」

とにかく行動する。

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ゆえに、21歳のときに、奄美大島にも地域おこし的な立場で1ヶ月住んで働いたこともあった。
リゾート地化ってどうなんだろう?
そこに住むってどうなんだろう?、と。

結論、リゾート地には住むものではない。そしてするものではない。
なんとなくわかってはいたが、やはり実際経験してみてそれは確信に変わる。

街としての収入が安定しない。

それにお客さんとして行くほうは良いかもしれないが、受け入れ側としてはかなり大変。
もちろん楽しくて過ごしている人もいるので一概には言えないが。

それを考慮してワインづくりとまちづくりもしなければいけない、と決意。

そのほか様々な街に行った。
いろんなまちづくりを見てきた。

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陸前高田にも大学在学中に度々帰っていた。

「まちづくり」のレベルが違うので、帰るたび迷子になる。
新しい道路、建物。
リアルシムシティ。リアルマインクラフト。

半年も開けて帰ると別の街。
大袈裟な表現でなくリアル。

最初の3年ぐらいは瓦礫の撤去で物事はそれほど進んでいなかったが、
4年後ぐらいからやっと段々とまちづくりが始まる。

山をあちこちダイナマイトで爆破し、均して高台移転の準備。
浸水した道路だらけなので、山があちこち削られて道路も次々開通される。

地元民なのに迷子になる。
カーナビはおろかGoogleナビですら上空を走っている。

昔の面影は市街には一切無い。
病院も学校も体育館もホテルも市役所も街の機能を司るありとあらゆる全てが流されたので、それらを高台に移転させる作業をしなければいけない。

山から削った土は浸水区域に造成して、街を高くする。

まさに陸前高田ニュータウン。
今でこそ、10年経って初めて陸前高田にパッと来たとて、こういう街なのか、という認識にしかならない。
昔の姿は想像がまるでつかない。

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自分は自分の目標のために独自の路線を走ってきた大学生活。

いろんな街に行って、いろんなワイン生産者に会いに行って、たくさんワインの勉強をして。

卒業後、すぐどこかのワイナリーで働いて修行することも考えた。
しかし、販路の確保が先だと思った。

10年後にいずれワイン生産者にはなるのだから、ならば生産者の目線ばかりではなく、最初に消費者の目線もつけたいと思った。


誤解を恐れずに言うと、日本でワインを学べる機関は無いに等しい。
自分でワイナリーを経営している人が教えているわけではなく、科学者やジャーナリスト、ソムリエが教えているからだ。
その目線も確かに必要ではあり、栽培や醸造についてはある程度学べるかもしれないが、市場の規模感や経営が全くわかってなかったりする。
ひとりで全てを担う必要は無いから別に良いのだけれども、けれども。

たくさん人に会いに行って、畑に行って、いいとこ取りで、独学で学ぶしかない。
特にも目的が決まっている自分のようなタイプは。
考えが凝り固まらないように。変に染まらないように。

箔をつけるために海外の有名ワイン大学で学んできたとてそれが日本でのワインづくりに活きるとは全く限らないし、その箔のためにとてつもない資金も必要。


栽培、醸造、経営。
その土地にはその土地のやり方がある。


極端な例で言えば、北海道で学んだ栽培や醸造を九州で同じくできるのか、という話。
それはできない。
イチ参考にはなるが、あくまで参考。

よく海外の生産者でも、ワインを学校で学んできた新人に対して、「学校で学んできたことは一旦忘れなさい」と初っ端で言う。

ある一定の知識はもちろん必要だが、地域ごとで、畑ごとで、まるでアプローチが異なる。

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そんなわけで、就職活動を熱心に取り組み、大学卒業後は、日本でトップのワイン専門輸入商社で働くことになった。

続く、社会人編Vol.3。

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