見出し画像

エリドシアル戦記 序章①

 穏やかな日差しが降り注ぐなだらかな丘と草原が地平線まで続き、所々に深い森が広がっている。

 その緑鮮やかな草原と、微かに黄金色に色付き始めた麦畑を凪ぐ穏やかな風が、人々に今年も実りの時期が近いことを告げていた。

遠くその丘を見上げるように、草原の中にオークの木材で作られた焦げ茶色の壁と、木の枝や藁などを編み込んだ屋根の家々が並んでいる。

 ヤギを連れた父子、おもいおもいの大きさのカゴを持ち木の実を採りに行く娘達、畑に収穫に向かう馬車などが行き交い、村は活気に溢れているのが遠くからでも見えていた。

 そんな百人前後のこの小さな村では、今日もいつもと変わらぬ朝の風景が広がっている。

 そして、この長閑な村のとある一家でもいつもと同じ朝が訪れていた。

 今年十歳になる少女ソフィーと、厳格だが優しい父オリバー、穏やかな微笑みを絶やさぬ母のマイラ、どこにでもいる幸せな家族の団欒がそこにあった。

 オリバーは小麦の香る焼きたてのパンをナイフで切り分け、マイラはヤギの乳と畑で採れた野菜で作ったシチューをそれぞれの木皿に取り分ける。
今か今かと待ちわびながら、木のスプーンを右手に持つソフィーの食欲を、パンの麦の香りと母の得意料理のシチューの野菜の甘い香りが刺激している。
「さぁ、召し上がれ」
マイラに言われるが早いか、ソフィーは木皿のシチューをスプーンで掬い、夢中で口に運ぶ。
「あらあら」
マイラはそんな娘の姿を微笑みながら見つめる。
「そんなにがっつくと喉に詰まるぞ」
オリバーも同じくシチューを口に運び、パンを食べる。
「だってお母さんのシチューは本当に美味しいんだもの」
ソフィーはその口元にシチューを付けながら、満面の笑顔を向ける。
その笑顔を見て、マイラもオリバーも自然と顔がほころぶのであった。

「さて、それでは牧場に行ってくる」
あっという間に眼前の料理を平らげ、オリバーは席を立つと仕事で使う道具の入った布袋を肩に下げ扉を開けた。
それをマイラは白いエプロンで手を拭きながら、ソフィーは食事を取りながら見送る。
「行ってらっしゃい」
二人の声を背に受けながらオリバーは牧場へと向かっていった。

「私も洗濯に行くわよ」
マイラはそう言いながらオリバーと自分の食べ終わった食器を両手に持ち席を立つ。
「はーい。私も食べたらお花畑に行ってくる」
「分かったわ、気を付けるのよ」
マイラは洗い終わった食器を棚にしまいながら答える。
「うん、ごちそうさまでした」

 ソフィーは食べ終わった食器をマイラのいる洗い場に持って行きマイラに手渡すと、さっと振り向き、とてとてと聞こえそうな足音を立てながら壁の釘にぶら下げている自分の小さな布袋を握って玄関から出ていく。
「行って来まぁす」
ソフィーが出た直後に、洗濯物をカゴに入れたマイラが玄関から出てきた。
「ソフィー、気を付けていくのよ」
「はーい」

別れてすぐ、マイラは村の中央にある井戸で先に来ていた女性達と談笑を始める。

ソフィーはと言うといつものように村の門へ向かって行く。

「あら、ソフィー。お出かけ?」
そこを洗濯カゴを持って井戸へ向かう途中の隣人のマルグリットさんに声を掛けられ、元気にうんと返しながら歩いていると、幼馴染のライリーが通りからひょっこっと顔を出した。
「あ、ライリー、おはよう」
「おう、ソフィー。今日も花畑に行くのか?」
薄茶色のふわふわとした髪の少年はソフィーの手に握られている布袋を見ながら訪ねる。
「そうよ、もうすぐデイジーが咲くころなの」
「ってことは、来月には麦の収穫かぁ。なあ、ソフィー、ソフィーが他の誰とも約束してなければでいいんだけど、あのさ、その……俺と一緒に麦の収穫をしないか?」
ライリーが頬を僅かに赤く染めながら誘っているのに対して、ソフィーは無邪気に「うん、いいよ」とだけ答えた。
一握りの勇気を振り絞った少年はガクッと肩を落とした。
と、同時に通りの向こうに居る男性達が声をかけてきた。
「おい、ライリー行くぞ」
声のした方を振り向くと、ライリーは弓やナイフなどの狩猟道具を持った男性達の許へ駆けていく。
「またな」
走り去る少年に手を振って別れを告げ、ソフィーは再び門から外へと歩いて行った。

 少女の足で十五分くらい歩いた丘の上には、無数のデイジーがその白い小さな花で一面を染めていた。花畑からでも村の様子や村の男達が入っていく森を見渡せるここをソフィーはお気に入りの場所として毎日のように訪れては花を摘んだり、花冠を作ったりしていた。

優しい日差しが降り注ぎ、そよ風が頬を撫で、小鳥達が唄うこの場所で過ごす時間が、ソフィーにとっては毎日の幸せな一時となっていた。

小鳥達がソフィーの周りを遊び回る中、
ソフィーはふと遠くの森の入口に人影が見えた気がした。

(誰だろう……お母さん、お父さん……ライリー)

背中にゾワッとした悪寒を感じたソフィーは布袋を投げ捨て、そのまま村に向かって走り出した。

その頃、ライリー達が入った森では……

「はぁっ……はぁっ……」
「逃げろぉぉぉぉ!」
「ライリー!こっちだぁ!」
森の中から傷を負った男達数人が絶叫と共に飛び出した。
その顔はみな恐怖や驚愕の表情を浮かべている。
その男達の中に必死に走るライリーの姿もあった。
ライリーの横を走る男の右肩が裂け血が流れ落ち、また別の男は肩に折れた矢が刺さっている。
一斉に自分達の村を目指して走る男達だが、何人かは体に負った傷や、森の中から飛んでくる矢によって力尽き倒れていった。

「待ちやがれぇ!」
「ゲハハハ、皆殺しだぁ」
今朝までは森の恵みを与えてくれた、穏やかな森の中からそんな下卑た笑いが、雄叫びが、轟いていた。
やがて森からその雄叫びの主達が姿を現す。

彼らはこの国では見ない動物の毛皮や、骨で作った鎧を纏い、手にはそれぞれ石斧や弓、剣を握っていた。
その男達は獣のような俊敏さと獰猛さを持って、獲物を追い立てていく。

「……なんだ?……何かあったのか?」
一方、村の方でも門の近くに住む男が家の窓から森の異変を感じ取っていた。
(まずい……みんなに知らせないと)

男は村長の家に向かって走り出した……

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?