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【エッセイ】カップルらしさ

昨日は文化の日。だから合わせたわけではないが、彼と美術館デートをしてきた。ずっと行きたかった「デイヴィッド・ホックニー展」だ。

彼と美術館デートははじめて。そしてなんと、彼自身が美術館に行くのがはじめて。正直驚いたが、まぁそういう人だよなと納得した。彼はザ・昭和の男って感じの、絵画鑑賞とは程遠い人だ。それでも私の希望を快く受け入れてくれた。

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/david-hockney-report-202307 より

今回の展示は8章構成で、展示数は120点余り。当たり前だけど、デッサンはベラボーにうまいし、油絵はさすが巨匠と呼ばれる技量と迫力。素人すぎる感想で申し訳ないが、率直な感想しか出ないほど圧巻だった。きっとプロや美大生なら言葉巧みにホックニーのすごさを語るだろうが、素人の私にはこれが精一杯。とにかく、素晴らしかったということだ。

https://www.museum.or.jp/report/113028

年代ごとに作品が展示されていて、ホックニーの表現の変遷を見られた。タッチや表現が年代ごとに異なるのは意外だった。巨匠でも表現を変えるのかと。どんな人間でもやはり変化するんだと知って、少し安心した。変化するから進化する。それが人間という生き物なんだ。

こちらは撮影可だったのでパシャリ

ホックニーは86歳になった今でもiPadで描き続けている。今回の目玉であるiPadで描いた作品を大判サイズで展示した「ノルマンディーの12カ月」はすごく良かった。ただ四季を描いただけではなく、快晴の日もあれば小雨降る日もあり、季節の移ろいを表現している。ぐるっと回遊しながら楽しめる展示法には脱帽だ。自然がもたらす喜び、寂しさ、儚さを体感できた。デジタルだからこそ作品がより明るく、色鮮やかになって、まるで夢の中にいるようだった。

全体を観て思ったのは、どの作品も制約がない。躍動感と自由を感じた。

ホックニー本人からしたら、苦しみながら描いたものもあるのかもしれない。どう思って描いたのかはわからないけれど、少なくとも私には、自分にルールを設けずに描いたように思えた。彼の作品、生き方には「限界」という文字がないのだろう。

とにかく感動しっぱなしだった私。しかし、彼はそうではなかったよう。終盤になると彼はいなくなっていた。

そもそも彼は絵画に興味がない。加えて、会場は人で溢れかえっている。飽き疲れて展示室から先に出ていたのだ。

最後に画集を買うために長蛇の列に並ぶと告げると、さすがにもう限界だったようで、どこかの店で待っていると言って、彼は先に行ってしまった。

もしかしたら、普通はこんなことをされたら怒るのかもしれない。でも、私は全然怒らなかった。嫌なのに無理して付き合ってもらって、機嫌を悪くされるほうが嫌だからだ。それに、そもそも興味がないのに付き合ってくれた彼には感謝している。

と思うものの、少しは新しい世界に目を向けて興味を持てば良いのにと思ったり、自分に素直な彼を子どもっぽく感じたり。納得してもいろんな想いが湧いてくる。でも、人間ってそんなものじゃん。

一緒にいても、価値観や楽しみを全て共有することはできないし、強要したところで相手が楽しくなることはない。無理してどちらかに付き合う必要は皆無で、お互いに無理なものは無理と言える関係性のほうがいい。

だから、彼が先に出たのは正解で、これぞ私たちらしさなのだ。

私たちはこういうカップルだ。



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