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アクセシブルツーリズムをインプットするよ✨⑦聴こえない世界に本当は壁なんかない

こんばんナマステ💙Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

1月23日に開催された東京都産業労働局主催「アクセシブル・ツーリズム推進シンポジウム」をインプットしていくシリーズ第7弾。

前回までの記事はこちら。

アーカイヴ動画は2月28日をもって視聴できなくなっているので注意。この記事は2月中に視聴して書き溜めたもの。

今回は、ミニセミナー「健常者と障がい者の間にある壁を無くすためには」について見ていきたいと思う。

講師は難聴うさぎ氏。

YouTuber/タレント、会社経営。

会社経営については、上記ホームページに「株式会社ASTOLTIA」という会社概要が載っているので、その会社を指していると思われる。

こういうシンポジウム系って1~2人くらい若い人混ぜてくる傾向がある。旅行のシンポジウムでも、結構あるのよ。

1994年生まれということは大谷翔平世代。これからのしょうがい者言論をリードしていく立場ってことなのかな。

アクセシブルツーリズムは若い人にも波及しなきゃ意味がない。是非とも話を聴き、ヒントを見つけていきたいところ。

それでは早速見ていくよ❣

難聴うさぎ「YouTubeの発信がメイン。手話歴3年9ヶ月。生まれつき耳が聴こえず、聾学校では手話と口話の選択制で両親が口話を選んだため手話を学ばなかった。島根県出身で松江高専卒業、ゲームと旅行が大好き。ゆいちゃんと呼びかけられても反応しなかったから1歳で難聴認定された。うさぎという動物が大好きであることや、うさぎといえば耳がシンボルということもあり難聴うさぎと名乗っている。インフルエンサーとしてYouTube、TikTok、タレント、モデル、会社経営といったことをしている。

子どもの時から天真爛漫で人前に出てスピーチすることが大好き。難聴だけでなく斜視、右半身肥大症といった障害もあり手術もした。普通学級に通ったが、定期的に聾学校にも通った。

耳が聴こえない自分を受け入れることができなかったが、中学3年生の時に人権作文で耳のことを書いたら教員から高く評価され、クラスの代表として全校生徒の前で発表する機会を与えられた。すると友達から知らなかった、教えてくれてありがとうと言ってくれて認めてもらえたことがとても嬉しかった。耳が聴こえない自分を受け入れられた。

その作文を全国にも出したら島根県大会最優秀賞、全国大会法務省人権擁護局長賞を受賞し、麻生首相(当時)にも読まれた。

本当はゲームの勉強をしたかったが成績が及ばず、高専で建築の勉強をすることになった。高校3年生でオンラインゲームに没頭する。耳の聴こえない自分にとっては、たくさんの人とフランクに会話できる理想の世界。10年経った今でもハマっている。

高専卒業後、ハウスメーカーに就職するも特発性過眠症に悩まされ、ガムや氷を食べながら凌いだが、やはり退職。次の会社では病気を受け入れてくれてCADオペレーターとして勤務できた。

他の人とは少し違う自分、目だったり、耳だったり、足だったり、でも違うから何❓と私は思う。それを個性のひとつだと思っている。例えば外国には金髪や碧眼の人がいるが、それと同じ。同じ人間だよねって思う。

そこで壁をなくすために自己発信を始めた。2018年にTikTokを開始、人とは少し違う個性を発信した。発信したことで自分をたくさん知ってもらえた。オンラインゲームのような個性を尊重しあえる理想の世界を目指したい。

もっと冒険がしたいと思い、退職してピースボートで世界一周をした。

英語どころか耳が聴こえなくても、世界中でジェスチャーなどで色んな人と仲良くなれた。船内運動会で2,000人の船客ほぼ全員に挨拶したけれど、耳が聴こえないのは自分だけ。それで注目を浴びて、いろんな人と仲良くなった。船上では暇な時間も多く、手話教室を開いたら30人ほど集まってくれたが、本物の手話通訳士が参加していて、間違った手話を注意される羽目に。それがきっかけでその方に教えを乞い手話を磨く機会を得た。そのおかげで手話の劇や発表会などをたくさん開催することができた。

船旅が終わり、手話を忘れてしまうのが嫌で手話を使う仕事がしたくなった。しかし手話通訳士は難聴ではなることができない。そこで見つけたのが当時上野にあったきみのて手話ラウンジのスタッフ。

お客様が全員聴こえない人で、しかも全国から集まってくると手話にも方言があることを知った。水の表現だけで日本に3種類存在する。

健聴者と聾者の世界の分断に気付き始める。健聴者は聾者とどう関わればいいのか知らないし、助けなきゃという謎の責任感を持つし、手話のできない聾者がいることを知らないなど無知と偏見がある。聾者からすると聴こえないことは綺麗な文章を作るのも難しかったり、補聴器を付けても電話ができないことが理解されない、助けてもらうのが当たり前だと思っていたり、逆に健聴者に関わるのが怖いという人もいる。それはお互いがお互いのことを知らないだけ。

その壁をどうしたら取り払えるのか。それは壁を作っているのが自分自身であることを知ること。聾者はまずその壁を取り払い自己発信をすべき。健常者は知らないことを恐れず知る努力をしてほしい。

耳が聴こえなくても、目が見えなくても、歩けなくても、人生は1度しかない。不平不満を言う人は自らが進んでその世界にいる。後悔しないように生きてほしい。世界を変えたければ自分を変えること。自分が変われば世界が変わる。私は挑戦し続けます。よかったら私のSNSをフォローしてください。

骨形成不全症や頸椎損傷など様々なYouTuberとコラボした。同じ聴覚しょうがいの持ち主でも、私と違って口話の練習をしてこなかった人もいる。色んなしょうがいを持った人とコラボしているので是非見てほしい。」

聾学校の教育が手話と口話の選択制だなんてこと初めて知った。

ちなみに盲目者は正しい言語を覚えられるけど、聾者は難しいと言われる。言語を持たない民族はいないけど、文字を持たない民族はたくさんいることを思い出せば理解できると思う。

これは自分の学生の時の恩師の論だけど、西洋近代文明は人類史の中で例外的に視覚に偏った文明であると。

今はアンダマンの北センチネル島などを除き、ほぼ視覚文明によって動いているけれど、イスラーム文明は朗誦を大切にしていて視覚文明化に抗っている。ウラマー(イスラームの法学者)には盲目者が少なくない。

自分もClubhouseやtwitter spaceで話すようになって、音声の方が映像よりずっと根源的なものであることを感じている。

聾者の方が盲目者より本来は重いしょうがいなんだな。

さて、旅というのもひとつの発信だろうと思う。生活圏を離れた場で何かをするということは、自分の殻を破っている営みにほかならないから。

そういう意味ではしょうがい者が旅を諦めてしまうのも、彼女が表現した壁だといえる。

さて、彼女がどうしてこんなに積極的に行動して、発信して、ということができるのか。

それは彼女が強い自己肯定感を持っているからで、その原体験が人権作文の発表ということになる。

多くのしょうがい者、それに限らず多くの人は自己肯定感をなかなか持てずにいる。

このことは旅のマーケット目線からいえば大きな損失に繋がっているといえる。

これまで取り上げてきたOrihimeやJinriki、音声コード、Next UDファッションといった技術やソリューションは自己肯定感を醸成する可能性を持つ。

最終的にはそこを目指していかなければいけないんだろうな。

何よりも彼女の行動力を見ていてとても元気になった。どんなジャンルであれ、積極的に動いている人を見るのは楽しいし、自分も誰かのインフルエンサーになれるよう精進していきたい。

それじゃあバイバイナマステ💙暑寒煮切でしたっ✨


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