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【社会学ワンダーランド 第四回 言葉の不思議 身体性・社会性・空間性・歴史性】学び振り返り


「言葉」について考える講義。
「言葉」にたくさん救われて、魅了されて、生きてきたからこそ凄く興味深い講義であった。
言葉というものに無力さを感じたり、その恐ろしさに触れることもあるけれど、
やっぱり私は言葉が好きで、これからも好きでいるんだろうなと、改めて感じることができた。
言葉をもう一つ深い部分で楽しむことができた。


【獲得はたくさんの解放を生む】
身体の変化において「脳」の発達が注目されやすが、「二足歩行」も注目すべき点である。何気なく二足歩行をしているが、二足歩行というのは凄く不安定なものであり、筋肉や骨が複雑に繋がり、支え合って成り立つ仕組みである。
どこか一つが上手く機能しなくなったりすると、途端にすべてがバラバラになってしまうということ。五体満足、健康でいるというのは、「当たり前」なのではなくて、本当に驚くべき奇跡なのだと改めて思う。この恩恵に感謝をして、”だからこそ”できることを日々していきたいと思う。美しく、素敵なことに使っていきたいと思う。

「二足歩行は手の解放、口の解放のプロセスを可能にした」
この言葉が印象的だった。
四足歩行だったら手は歩くこと以外には使えないし、歩行中何かを運ぶ際口を使うとしたら同時に歩きながら話すことはできない。
そう考えると、歩行しながら手を自由に使えたり、会話ができるということ、それすらも凄いことなのだとハッとさせられる。

何かができるようになると、それと同時に、できなかったときにそれを補っていた他の機能も解放されるということ。
1つの獲得は、想像以上にたくさんの物に影響を与え、たくさんの物事の解放・獲得に繋がっていくということ。
できるようになること、獲得すること、成長すること、それは、それ以前の自分を支えてくれていたものに気づくことなのかもしれない。
手に入れてしまうと、それに満足して、次々と目移りしてしまうけれど、
それまで自分を支えてくれていたことにも思いを馳せることができたら豊かになれるような気がする。
そして解放された部分へも意識を向ける必要があって、自分でコントロールし、うまく付き合っていかなくてはならないことが増えるということ。それは、再び違う形の不自由さが生まれるということ。
どこかに自由を得ると、また違う所に不自由さが生じるということ。
二足歩行になったからこそ、手を正しく使わないといけないし、会話に気を配らないといけなくなったということ。

【「言葉欠品中」に出会いたい】
”言葉というものは在庫としてない場合も大いにあり得る”
この言葉も印象的だった。
たくさん学んで、たくさん考えて、在庫なし・欠品の状況にたくさん巡り合っていきたいと思う。
自分の知っている言葉、現存の言葉、そういう限界のある「枠」を飛び越えてこの世界を楽しんでいきたいと思う。
それは「枠」におさめなくてもいいということ。どんどん広がっていくということ。


【一つの言葉が背負うもの】
”言葉は脳が発行する貨幣ではなく、色々な要素が複雑に作用しながら意味が共有されていくもの”
それはとても不安定であることを意味すると思うし、だからこそ「言葉」はこんなに魅力的なのだと思う。
自分の意志以外にも「言葉」は本当にたくさんのものが含まれると思うと、投げやりに「言葉」を使っては本当にいけないことだと思う。丁寧に、慎重に「言葉」をつかえる人でありたいと思う。

【情報に溺れない方法】
声・文字・活字についても面白いと感じた。
声は、空間で共有するもの・消えてしまうもの・経験として残るもの・記憶・今そこにしかない現象。
文字は、外部化されたもの・物質的・客観化可能・記録・改めて検討できる。
活字は、複製技術・公共化できる。
活字は、間違ったことも正しいものも広まり、共有されたことによってたくさんの人が同じ思考に触れ、そのことによって「正しさ」についてより洗練されていったということ。たくさんの情報が溢れているというのは、より良い水準を作ることができるということ。
たくさんの情報に翻弄され、恐怖感も感じるけれど、たくさんの情報があるからこそ、より良いものを生み出すことことに自分も加担できるということでもあるということ。それは大きな希望なのかもしれない。情報に溺れない。情報で洗練させていく。

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