「 「本質」さえ手放さなければ 」

心に立ち上がってくる「感情」や「思い」を可能な限り些末なものへと、小さく小さく分解する癖をつけたいと思う。
 
“「生まれてこなければよかった」と言うとき、私たちはどのくらいの深さでそれを語っているのだろうか。
ある者は、自分の人生に対する悔恨の気持ちを表明するためにこの言葉を使っているのかもしれない。ある者は、自分の人生と自分の存は在を心から呪い、本気で自殺を考えながらこの言葉を発しているのかもしれない。ある者は、この全宇宙はそもそも生成するべきではなかったというメフィスト的な否定でもって、この言葉を発しているのかもしれない。”
何も上手くいかず報われない、辛くて苦しいことばかり起こる。「もう、生まれてこなければよかった」とそんな嘆きが立ち現れる。
「生まれてこなければよかった」という感情だけではなく、その他の感情においても、浮かんできたそのあとに何か働きかけを行えているだろうか。
まず、生まれてきたそれらに心を砕くことをせず、目を向けずなかったことにしたり、頭から否定したり、そういうことは心の健康に害であると思う。いったん受け止めること、自覚するという癖はつけてきたつもりだった。
 
この文を読んだとき、受け止め自覚して上で、分解し深めることが必要だということに気づかされた。
分解の癖をつけ、その技術を高めていきたい。
漠然としたものでとどめないこと。漠然としたものに支配されるのは怖くてくるしい。分解することで、少しづつ輪郭をつけていってあげる作業。靄がかかって見えずらかった「本質」へと歩みを進める。
その感情が訴えているのは何であるのか。己の心の声に耳を傾ける。
別な言葉に言い換え、別な思考に置き換えることができるかもしれない。そこから、別の新しい手段や行動が導かれるかもしれない。
「本当の父親になれなくても、父親のような存在になれるかもしれない」
「方法や手段に囚われすぎないで、目的という大事なものを忘れないで」
 
どちらも私を支える言葉。拘り、貫くことはとてもかっこよく素敵なことだと思う。
でもそうすることで自分を苦しめたり、それがどうしようもなく失われてしまう可能性もある。
だからこそ、固執しすぎない自分でいたい。漠然としたものから、ひとつ揺るがない「本質」を導く癖を。「本質」さえ押さえていれば、そこさえ譲らずにいれば、それくらいの柔軟さを備えていたい。

漠然としたものをなるべく細かに分解し、整理し、丁寧に輪郭をつける。
そしてより深いものを、表現できる知識と語彙を持てる人でありたい。

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