「 代替え可能の私でいい 」


自分のことをどれだけわかってあげられているのだろうか。
自分の中の足りな部分を補う選択を。
自分の魅力や長所を磨き高める行動を。

それは、もっと素敵になれるように。
もっと深く呼吸ができるようになって、少しでも生きやすくなるために。
理不尽や、自分の中のどうしようもない葛藤や、なかなか変えることのできない絶妙な傾きやバランス達とどうにかこうにか折り合って、どうにかこうにか仲良くやっていく為に。

そんな日々の努力は、いったいどれくらい確かに的を得て、自分自身を支える役目を担っているのだろうか。

                                                                                                                                                                                    

”自分という枠組みを決めているのは自分自身。”
”自分自身の好きなものは、その人の知識の範囲内に収まり、その人のセンスからしか生まれない”

今日読んでいた本に書いてあって、引っ掛かった言葉たち。
「センスは知識から始まる」「センスは知識を集積することで誰でも育むことができる」と示す。

一体、私が「好き」だと豪語しているものたちにどれくらいの力があって、その力はどのように私自身に作用しているのだろうか。私にとってどれくらい確かなものとして根付き、意味があり価値があるのだろうか。

「好き」
かけがえのない、キラキラと何よりも大切なものであるように思えるこの気持ちも、ふっと吹かれてあっというまにどこかに飛んで消えていってしまいそうな気がしてきてしまう。
疑問になる。
この気持ちって一体何なんだ?
そして個性って何なんだ?

そもそも私って何なんだ…?
またまた思考の迷子になってくる。

「好き」と選択するのも、その他の選択肢を知らないだけなのかもしれない。小さな選択肢の中で傾いたほうを「好き」として、その優しい素敵なレッテルにホッと満足してしまっているだけなのかもしれない。
それを「好き」としている自分が「好き」なだけなのかもしれない。

”たいていの情景は、伝統的にきまった感情と結びついてしまっている。
ぼくはしばしば物事に対して自分が本当にそう感じるからではなく、そう感じる「べきである」と思って答えてしまう。だから、そうしてよいかわからなくなったり、判断によったりするのだ。”

「これを好きであるべき」「好きでい続けるべき」そうやって自分を縛ってしまっているのかもしれない。


センスを磨く手段として”「好き」を深堀する”ということが勧められていた。
「好き」なことについて、なぜそれが好きかを問うていく。
そうすると、人段階深い「好き」に出会い、それが本当の「好き」であるという。

”父親になれなくたって、父親のようになることはできる”
”医者になれなくたって、医者のように生きることはできる”

私にとってとても大切な言葉だ。
必要なのは、重要なのは「肩書」ではないということ。
入口はもちろん肩書でもいいけど、その中で自分が本当に欲している核を探す癖をつけること。どんどんどんどん深堀して、どうしても譲ることのできない小さな小さな点を見つけること。

なぜそれを欲するのかを冷静に考えてみる。
「好き」という対象も、同じように1点を見つける為に深堀していくと、自分のことがもうひとつ深く理解してあげることができる。
その点を抑える方法や手段は他にももっと沢山あるということに気づく。
色んな余計な雑音を取り除いて、「私」を抑える一点を探してみる。

そうすると、どうしても手に入れたいこと、自分の手元に取っておきたいこと、そういうものはそんなに沢山はないということにハッとするし、頑なになって自分をがんじがらめにしてしまっている事実に気づかされる。

「読書」
→「自分の知らない思考や表現方法に出会うことができるから」
→「自分の持っている既存の思考では自分を支えるにはまだ拙いから」
自分の思考の幅を広げることができるのなら「読書」でなくても代用可能

「ヨガ」
→「運動をすると精神が落ち着き、フラットになるから」
運動であれば「ヨガ」でなくても代用可能

色んな事の「代用品」を心得ておくことは、自分に少しゆとりを作ることになると思う。ゆるりと、風通しよく。
色んな大切な条件が重なることで、少しづつ選択肢が絞られて、決断をしていくのだと思う。
「これじゃなきゃ」「これがいい」もいいけれど、
「これじゃなくても」「こっちでもいい」があってもいい。
そういう幅や、ゆとりは、深い呼吸へと導く。

大きなくくりで見ると、いくらでも「私」というものの代替品はあると思う。少し心細くなる。でも、”どうしても譲れない”の一点を見失うことなくちゃんと知っていてあげれていれば、大丈夫だとも思える。
それを守るように、そうやって軽やかに生きていけたらいい。

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