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ショートショート「伝言板とハムエッグ」

※後書きがあります。
 
 あれは、去年の夏の終わり頃の日曜日だった。昼食のついでにビールでもと、入った立ち飲みの居酒屋で、僕は初対面の男性とビールを飲むことになった。
 
「すいません。大ジョッキ、またおかわりお願いします」
「いいですね。私は黒ビールを」
 いつのまにか、イマウエさんも、自分のジョッキをあけてしまっていた。
 
四十分ほど前。僕とほとんど同じタイミングで入店した彼は、僕の左どなりの空いたカウンターに立ち、やはり僕とほぼ同じタイミングで、最初の飲み物として、「ビールの大ジョッキ」を注文したのだ。
 それがおかしかったのか、彼は最初のビールとおつまみが来てしばらくして、わざわざ名乗って、「このお店は初めてですか?」と、にこやかに話しかけてきたのだ。
 年齢は六十歳前後。薄い色のジャケットとパンツに銀縁の眼鏡。下町の立ち飲み屋には少し場違いな格好だと思ったが、この店の常連客のような自然な振舞だった。訛りのない彼は、ここは初めて訪れた店だと僕が告げると、丁寧な口調のまま、さらに親しげになった。
 
「で、苦しまぎれにベーコンなどを使って、フライパンで丸くないたこ焼き風のものを仕上げたわけです。幸いなことにこれが、その場の同僚から好評をえましてね」
「みなさん、食べてくれたのですね」
「ええ。あちらのソースが意外にマッチしたのです。おや。ツルタさん。おつまみもカラですよ。私は黒ビールとポテトサラダにするか……」
 そばを通りかかった店員に、彼はよどみなく注文を追加した。
「イマウエさんのお勧め、なにかあるのですか?」
「ツルタさん、そういうのは自分で確かめていった方が面白いと私は思いますよ。でも、あえて言うなら、どれもお勧めです」
 回りくどい言い方も、それほど気にならなかったのは、酔いが少し回ってきていたからだったと思う。
 引っ越して来てから好きになった紅ショウガの串カツは外せないとして、後はなにか一つ二つ。そう考えながらメニューを眺める。ハムエッグなんてあるんだ。値段も手ごろだった。
「串カツのウズラと、紅しょうが。あと、ハムエッグをお願いします」
 待っていた店員にそう告げた僕の声を聞いて、イマウエさんの眉毛が少し上がった。
「ちょっと珍しいですよね、ハムエッグがあるなんて。あ、焼き具合も指定できますよ。よろしいのですか?」
「え、ああ。まあ普通で」
「私はターンオーバーが好きなのです。ハムエッグは思い出深い食べ物ですよ」
 その口調は少し思わせぶりだったが、興味が勝ってしまった。
「なにか、ハムエッグで忘れられないようなことがあったのですか?」
「ええ、昔話なのですが……」
そこへ、僕の大ジョッキとイマウエさんの黒ビールが届く。彼はそれを一口飲み、美味そうに目を細めてから、語り始めた。
 
 先ほども申し上げましたように、二十年以上前ですが、私は仕事でイギリスに滞在していましてね。ある時、ロンドンから三時間ほどのⅮ市に、出向を命じられて、当地に赴いたのです。
 下宿を借りさせてもらって、二年ほどそこに住んでいました。下宿の主は私の上司の関係者の、リリー、という名前の未亡人でした。当時、七十歳前後だったと思います。
 ツルタさん、「イギリスの食事」と聞くとどんなイメージを持たれますか?
 ふふ。そうですね。そのイメージはおおむね正しいですよ。私はイギリスに移住した当時から、この国の食事は自分に向いてない、と気づきました。自炊の習慣が身に着いたのもそのためです。D市への出向が決まった時も、当然、自炊を続けようと決めていました。
 
 ところが。リリー夫人は、最初の日にこう私に宣言したのです。
「あなたがウチでとる食事は、全て私に任せておきなさい」
 ええ。当然、私は異議を唱えました。自分は腕に覚えもある。安価で住まわせてもらっているうえに、余計な負担を貴女に与えるのは心苦しいから、と。しかし夫人は、首を縦にはふりませんでした。
「私は私の仕事。あなたはあなたの仕事に専念することね。それに、私に料理をするな、というのは、呼吸をするな、という意味でもあるのだから」
 幸いなことに、彼女の料理は素晴らしいものでした。同時に、休日は彼女から色んな料理を教わり、こちらも日本の料理を教えたりしたものです。
「あなたが作ってこれだけ美味しいのだから、本場で食べたらもっと素晴らしいのでしょうね!」
 肉じゃがをそう褒められたこともあります。イヤではなかったですよ。
 
 しかし、彼女が作る食事には、一点だけ、ささやかに困ったことがありました。
 それが、ハムエッグでした。朝食に、必ずハムエッグを出すのです。日本の喫茶店の、モーニングセットの話を私から聞いた彼女は、トーストの他にサラダなどの一品、そこにハムエッグ。そのような献立を考えてくれたのです。トーストやサラダは、日替わりで色んなモノを食べさせてくれましたが、ハムエッグが外れることがありませんでした。
 
 ツルタさんもそう思うでしょう。私も遠回しに伝えました。スクランブルエッグも好きだし、ボイルドも食べたい。そのたびに要望には応えてくれたのですが、そこにも彼女はハムエッグを添えるのです。残すのは私の主義に反しますから、完食しましたがね。
 冗談交じりに、「リリーさん、貴女にハムエッグを作るな、と命じる事は、呼吸をするな、と命じる事でしょうか?」と問いかけてみました。彼女は飛び切りの笑顔でこう応じたのです。「その通り。イギリス流の会話が少し上達したようね?」と。
 ええ。私は根負けしました。しかし、彼女のハムエッグも実に美味しかった。私が文句を言わなければ済むことでしたからね。
 
 さて。前置きが長くなりましたが。根負けしてもたまには、やれやれ、と思う日もあります。ある日の朝、私は気晴らしに、下宿の最寄りの駅にある公用の伝言板に、日本語でこう書き込んだのです。
 
「夜にハムエッグを食べたい」と。
 
「王様の耳はロバの耳」みたいなつもりでした。ハムエッグ攻めに遭ってるのだ……そんな個人的な話、職場はおろか、日本の友人にだってもらしたことはありません。そして、伝言板に落書きして、三日目の夜。私が一人だけでオフィスで残業していた時に、一本の電話がかかってきました。私がとると、しわがれた男の声で、こう聞こえてきたのです。
 
「ハムエッグは朝食べるもの」
 
受話器の向こうの男はそれだけを繰り返してきました。私が何を問いかけても、です。
 一旦切っても、そこから電話はきっかり五分ごと鳴りました。その度に、同じ文言を繰り返すのです。七回目のあと、私はさすがにウンザリして、受話器を外してしまったのですが。
 え?いや。私は怪談や怪奇現象の話は大好きなのですが、その前に論理的にカタがつく話は、論理的にカタをつけなければならない、と思っていますから。当然、リリー夫人を疑いましたが、彼女は日本語の読み書きは出来ないに等しい。
 先ほども言いましたように、ハムエッグの件は誰にも話していない。どう考えても、そのようないたずらを考えたり、仕掛けてくる相手が思い浮かばないのです。結局、この時の電話の謎は、私にはまだ解けていないままのです。ツルタさんは、どう思われます?
 
 そこまで話して、イマウエさんはもう一度、黒ビールをごくりと飲んだ。
 
 妙な話だった。普通に考えると、こっそりイマウエさんのことを観察していた、どこかの誰かが仕掛けたのか、リリー夫人にまつわる知人のしわざなのか。しかし、アルコールがわりと回ってきた頭では、きっちり考えるのが面倒くさくなってきてもいた。
「ハムエッグに塩がいい、醤油がいい、って、皆てんでバラバラですよね。世の中には色んな人がいますから、そんな訳の分からないことをしてくる人がいても、不思議じゃないかもしれませんね」
 我ながら、的外れな返答だったとは思ったが、イマウエさんは、ふふっと唇をつりあげて笑った。
「そうですね。この世のどこにも、ハムエッグは夜に食すべからず、という決まりもありませんしね。ちなみにツルタさんは、ハムエッグには何をかけますか?」
「僕は醤油ですね。イマウエさんは何派ですか?それと、どんなお仕事をされているんですか?」
「私は……おっと。失礼します」
 イマウエさんは内ポケットから携帯電話を取り出した。今時珍しいフィーチャーフォンだ。
「イマウエです。はい。ああ。結果がでましたか。お疲れ様です」
 そこまで話して、イマウエさんはこちらを見て、電話を中断する。
「申し訳ない。仕事の電話で。少し席を外します。すぐ戻りますので」
「ああ、全然かまいませんよ」
 彼は僕に会釈をして、同時に、レジの近くにいた店員に軽く何かをささやいて、店の外に出て行った。
 
 それが、イマウエさんを見た最後だった。
 
 ポテトサラダが乾いていって、三十分経ってもイマウエさんは戻ってこなかった。これ以上居ると出費がかさむし、酔いすぎてしまう。一時間を少し過ぎて、僕が会計を済ませようとすると、イマウエさんが飲食した分まで、僕の会計にツケられていた。
「あの青年が私の分も払うから」と言われたそうだ。
 
 イマウエさん風に言うなら、さて、前置きが長くなったけど。
 
 彼に食い逃げされてから、時間帯も変えたりして何度か店を訪れてみた。当然イマウエさんには会えていない。しかし、もう今日を最後に諦めよう、と思った五回目の時だ。
 悔しいけど、最後だし、あの日以来のハムエッグを食べてみるか。
そう思って、注文したハムエッグに醤油をかけようとしたそのタイミングを見計らったように、僕のスマホに、差出人不明のメールが来たのだ。
「私は、ウスターソースをかけるのが好きです」と。
 
                           (終)


こんばんは。みそカツが食べたい私です。名古屋飯だと、あんかけスパゲティもいいですよね。

この作品は、去年のある小説賞の公募用に書いたものです。食べ物を主題にしたのに、箸にも棒にもかからなかったですが。

どんな話を書けばいいのかさっぱり発案できず、締め切り間際まで書き出すことができませんでした。

締め切りの二か月前に、そうだ、自分が昔書いて評判のよかった、ツイッター(Xという別名がある)で続けている140字小説を膨らましたれ、と思いつき、書いたのがこれです。

今読むと、ちょっと恥ずかしいけど、「とりあえず、思いついた話のタネは、どんなしょーもない事でもメモして残しておく」という習慣が身につきました。友達に褒めてもらったのもよき思い出です。

「どんなしょーもない事でもメモしておく」という習慣を続けた結果、さて、今年の挑戦はどうなったか?

それは来年、私が生きてて、やっぱり箸にも棒にもかからない結果が出たら、またnoteで発表します。

ではまた。

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