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#20 knøwledge

胸じゃなくてこの目を見てもう一度言ってみなよ。




I. Wくん再び

そこそこのサイズの胸を持っているとどうしても目を引かれるのか,男女限らず,初対面の人に会うと,会って遅くとも1分以内に視線が胸に向けられる.

身体のラインが出ないような服を着たいのはやまやまなのだが,そうしたらそうしたで今度は服の前面が乳に押されて前に出るので,かなり太っているような感じになってだらしなく見える.乳の存在感を押し殺すには晒を巻いて潰すしかないのだが,一日潰しっぱなしだと相当苦しいので,諦めてこの肉塊を誇示する他ないのである.

まあそういうことなので,見られるのは仕方ないと思っている.逆にこの乳を一切無視されると,それはそれで負けた気がしてならないので,まあ少し目線が引っ張られるくらいなら見逃してやろうというメンタルである.

しかしあまりにもチラチラされると気分が悪くなってくる.良い年した大人が人の目を見て話せないんだろうか.「逆上、孤独、エリカの散り様。」で書いたWくんのことである.彼への皮肉をたっぷり込めて書いてやった.

エリカの散り様の辺りということで,実は作り始めたのは生命の呼び声よりも前だったのだが,難産で暫く放置された結果やっと制作を再開したのがアロンダイトを書いている頃で,そこから更に経って漸く完成したわけだ.

一応嬰ハ短調ってことになるのだろうか.最初は変ロ長調のつもりだったのだが,[B]に入った辺りでどうやら短調っぽいということに気付いた.というか嬰ハ短調の同主調からの借用と考えればそりゃそうなのだが…….


II. 解説: 非和声音のオンパレード

Allegro seducente.速く,煽情的に.前述通り,嬰ハ短調ではあるのだが,同主調である変ニ長調から部分的に借用している.コードを書くことに意味があるのか怪しいが,基本的には C# > D/C# > Gaug/C# > C#m7 (> Dm/C#) である.[A]の左手は若干ギターのバッキングを意識している.何となく嬰ハ短調ってギターのイメージなのよね.

[B]はコード的にはシンプルである.ずっと C#m で,最後だけ F#m > B7 である.下ハモとかを除けば,基本的にはレが半音下げになっている.ドリアン♭2nd(或いは♭9th)スケールと呼ばれるものだ.ドリアンスケール自体民族的な感じがするのだが,2nd(9th)を半音下げることでさらにその感じが増す.4n, 4n+1小節目に来る低音域の旋律をα,4n+2, 4n+3小節目に来る高音域の旋律をβとすると,交互にαβαβとなっているわけだが,最後だけβを経由せず次の場面へと移る.民族音階が持つ独特の不安定さに加えて,尺的な不安定さも足して妖しさを出す.

再び[C]では[A]の反復だが,最後から2番目の音だけちょっと躓いたように16分音符に.[D]は[B]の反復で,βがそれぞれ異なる.ここはさして言うこともないだろう.

[E]はうって変わって西洋長音階.Aadd9 > Aadd9 > Eadd9 > Eadd9 > F#m7 > B7 > C#madd7 > N.C. となる.優しくも狡猾に少しずつ忍び寄って身体を絡めて動けなくする蔦のようなイメージ.

[F]に来てやっと嬰ハ短調がハッキリする.やたら内声がごちゃついてて難しそうに見えるが,やってることは簡単で,外声が来るタイミングだけ強くすればあとは内声だけ拾っていけばいい.左手は連打が多いが出来るだけマルカートにしてベチャつかないように.

[G],[H]は基本的に冒頭部分と同じなのだが,前半の[G]の方は一オクターブ下げて若干の緊張感を.[I]は[B]の変奏なのだが,βがないのと,左手が相当暴れている.この左手はイメージ的にはギターなので,出来るだけ歯切れよく,アーティキュレーション遵守で弾こう.[K]も例によって[C]の変奏.そしてやはり例によって左手は歯切れよく.特にスタッカートには神経をすり減らすこと.

[L]はさしていうことがないかなぁ……強いて言うならば,ここも何となくギターイメージなので,110小節目の4拍目ピッキングハーモニクス風の遊びを入れてたり,116小節目にペンタトニックマイナーの速弾きを入れてみたりしている.シンセみたいにピアノにピッチベンドが標準装備されていたらチョーキングまがいのものも入れてみたかった.

[M]から例によって民族に戻るのだが,ここは実質的には4/2拍子になり,重たさを重視している.この後直接[F]の旋律を繋げるので,ちょこまか動く[F]と対比させる意図がある.


III. Croquis II

#1~10の時にCroquis Iというまとめアルバムを出したのだが,また10曲溜まったのでCroquis IIを出すことにする.音源がまとめてダウンロード出来るから楽というのと,簡易的なジャケットを用意して全部ファイルに埋め込んであるので音楽アプリに直接放り込んで聴くのにちょうどいい.

配布ページには5つzipファイルがある.楽譜はpdf (croquis_2_pdf.zip),音源はmp3 taglessmp3flacwavの4種だ.音質・サイズ的にはmp3 tagless<mp3<<flac<<<wavとなっている.wavは音質こそ良いものの,使用する再生ソフト/アプリや環境によってはタグを読み込まない場合があるため留意されたい.それぞれの出力設定は以下のような感じである.

mp3 tagless (croquis_2_mp3_tagless.zip)
→ 並音質 (192kbps)・非可逆圧縮・タグなし・サイズ小
mp3 (croquis_2_mp3.zip)
→ 良音質 (320kbps)・非可逆圧縮・サイズ中
flac (croquis_2_flac.zip)
→ 高音質 (44.1kHz/16bit)・可逆圧縮・サイズ大
wav (croquis_2_wav.zip)
→ 高音質 (44.1kHz/16bit)・非圧縮・サイズ超大

mp3はストリーミングの音質,flac/wavはだいたいCDの音質と考えてよい.ただ,普通の人の耳だったら192/320kbpsでも十分高音質に聞こえるはずだ.

taglessは極力サイズをコンパクトにするために,音質を落とした上でタグを剥がしているため,端末に取り込んでも曲の情報が表示されないようになっている.逆に言えば他の3形式はタグを付けているため,端末に取り込めば曲の情報が表示されるはずだ.(wav形式は先述の通り環境によっては表示されない場合がある.)迷ったらタグありのmp3 (320kbps) が無難だろう.カバー画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)から拝借した.

配布ページ


IV. 楽譜&音源配布

ここに書いてあるルールを守ってくれれば使途は問わない.

《楽譜ファイル (PDF)》

《高音質音源ファイル》
WAV形式のCD音質 (44.1kHz/16bit, 1411.2kbps)

《並音質音源ファイル》
MP3形式のストリーミング音質 (320kbps)


V. あとがき: 日に日に好みから乖離する音楽シーン

大学時代,サークルで音楽はやらず,ESSと映画部に入った.

イントロが減り,どんどん曲の時間が短くなり,ギターが目立たなくなり,歪みエフェクターは減り,キーボードもギターもソロパートが消え,中音域~高音域に重心がある音作りになり,一方で電子音は増えるばかりで,ピアノの特徴を踏みにじるようなリリースカットピアノが台頭し,メディアに出るのは同じミュージシャンばかりで,ボカロPはボカロ捨ててバンドとか歌とか始めるし,剰え音階に収まらない音すら多用され,コーラスや中音域楽器はナーフされ,サビの爆発力は減り,曲全体としてもそこまで起伏がなく,耳に残ることだけを考えた作曲.

そんな曲が蔓延る近年の音楽シーンが気持ち悪くてならない.日を追うごとに自分の好きな音楽が骨董品になっていく感覚が本当に悔しい.

曲に限らず詞ですら,セフレだ煙草だ酒だ自傷だと病み散らかしてみたり,無意味にただ口が気持ちいいだけの難しい言葉列挙に走ってみたりと,脊髄で曲を作っているのかと嘆息したくなる.

避けようにも,音楽なんてそこらじゅうで流れている中で,こちらが黙っていても音楽の方から私の顔面に激突してくるのだ.ReelやShorts然り,TVCM然り,店内BGM然り,流行りの音楽というのはそこら中に根深く蔓延している.

ハード面でもこの感覚はあって,私の好きな曲を好きな感じ音で聴けるイヤホンヘッドホンの類が極端に減った感覚があって,廉価帯は専らライトユーザー向けに現代の音楽シーン向けにシーズニングされているので,ここ数年購入したイヤホンやヘッドホンはどれも数万単位のハイエンドモデルになってしまった.金を出さねば癖のない音が買えないのである.

一昨年から去年にかけて一瞬ぼざろが流行って,昨今急激にアニメが非オタ相手にも市民権を獲得してきている情勢も相まって,ギターとかロックが息を吹き返すかなと薄く考えていたこともあったが,現実はそう甘くなく,それが生み出したのは数か月後楽器屋に並ぶ中古ギターの在庫だけだった.

何故こうも目まぐるしく(私の目から見ると)悪化の一途を辿るのだろうか.私はストリーミングサービスとショートムービーの台頭がその背景にあると疑っている.

ストリーミングサービスの隆盛により,特定のアーティストが集中して推されるというステレオタイプな構図は崩壊したと思われるのだ.無論,近年でもその手のアーティストはごくごく稀ながら存在するのだが,本当に一握りなのである.

ストリーミングサービスでは基本的に自分の好みの曲を学習してサービス側が勝手に次々と曲を運んでくるため,同じミュージシャンを集中的に引っ張ってくるというよりは,同系統の集合の中からよりサンプルの曲に近いものを持ってくることになる.

すると大抵の場合その人気は「一発屋」止まりになってしまうのだろう.音楽性の改造を余儀なくされ,大勢に右倣えするアーティストが増える.そういったアーティストが増えれば流行りもそっちに流れ,そしてまた新しい流行りが出てくるとまたそちらに大勢が流れ,そういった循環を繰り返してここまで目まぐるしい変化が起きたのだろう.

もう1つの原因がTikTokに端を発したショートムービーの流行である.他にはInstagram ReelやYouTube Shorts,LINE VOOMあたりが有名だろうか.短時間が故に,タイパ重視の現代人がコンテンツを大量消費するのに向いているためここまで流行ったのだろう.

最早長い動画は余程面白くなければ観てもらえないという時代に,アーティストたちが新しい客層にリーチするには,こういったショート動画サービスへの参入はほぼ義務になっていると言える.そして大抵は1分以内という短い時間の中でどうリーチすればいいかとなれば,とにかく耳に残るフレーズを押し出した曲を作るという結果になるのである.

曲を作り,ピアノ・ギター・トロンボーンを演奏し,編曲も頑張れば出来ないこともない.それにも関わらずサークルでやったのが映画と英語なのは,自分の嫌な音楽も取り入れねばならないという環境が嫌だったからだ.音楽を創る者として,演奏に憎しみを感じ始めたらもう音楽なんて辞めるべきだ.そんなことを考えている.ならば,恐らくは流行りの曲ばかりやることになる軽音だの吹奏楽だのをやる気にはとてもなれなかった.

結果としてこの選択は大正解だったと思う.流行りに魂を売りたくはないね.


VI. クレジット

作曲・執筆・浄書: kyoka (@kyoka20011218)
動画編集: Noah
見出し画像: フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)


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