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読書日記2024年6月 『異形コレクション 屍者の凱旋』

大好きな書き下ろしアンソロジー、『異形コレクション』。
その57冊目となる最新刊『屍者の凱旋』を読みました。
テーマはタイトルにあるように、「屍者」。
蘇る死体、動く死体、いわゆるゾンビ。

テーマとしてはやや限定された印象があり、ネタかぶりしてしまわないかな……?などと心配してしまいましたが、杞憂でした。
わりあいにオーソドックスな「ゾンビ」を描く作品が多かったものの、その描き方は作者によって多種多彩。
どれも楽しませてもらいました。
グロテスクなのに、どこか切ない読後感を残すお話が多かった気がします。

以下、特に好みだった作品いくつかについて感想を。

背筋「ふっかつのじゅもん」
一作目から、きたー!!
昨年刊行の『近畿地方のある場所について』で大人気の背筋さん、異形コレクションに初登場です。嬉しい。
(この作者名、人名感がない。「背筋さん」と書いてみたものの、すごい違和感。背筋先生、と書くとさらに違和感)
『近畿地方の~』はモキュメンタリーという手法を大いに生かした作品でしたが、こちらの「ふっかつのじゅもん」は、オードックスに主人公「私」の一人称視点から語られる物語。
突然の事故で妻を失った「私」は、生きる気力を失い、セルフネグレクトの状態に陥っています。
仕事を休職し、医師から「何か趣味でもありませんか」と問われ、やっと思いついたのがゲーム。
古いゲーム機を引っ張り出し、昔のマイナーなRPGゲームをやり始める。
一度クリアした後も、他になすすべもなく、そのゲームを繰り返し攻略し続ける私。
寝食も忘れ、あらゆる攻略方法を試している中で、見慣れぬ呪文に出会います。
何気なくその呪文を使用してみると、ゲーム内で途中で死んだはずのキャラクターがゾンビ化する、というバグが発生しました。
そしてその呪文を、自分の口でも唱えてみたところ、部屋の中に亡き妻が現れて……。
執拗にゲームをやり続けて現実から逃れようとする主人公の描写、そして亡き妻が現れてからの二人の会話。
どちらも丹念に描き込まれていて、引き込まれました。
愛する人を失った人間の、おぞましくもいたましい「喪の作業」の物語です。

『ゾンビはなぜ笑う』上田早夕香
ある日突然現れた「違種」と呼ばれるゾンビが跋扈する世界。
社会や文明が崩壊したわけではなく、政府や自衛隊なども機能している状態のようですが、外を無防備に出歩くのは危険。
多くの人間が居住空間に閉じこもって生活している、という状況です。
そんな中、主人公は拳銃で武装し、宅配便の配達業者として働いています。
冒頭から、配達先のマンションで「違種」と遭遇し戦闘が始まる、という緊迫感。圧倒されました。
(外で働いているのが配達業者だけ、という状況はコロナ禍を連想させますね。こんな状況なのに「顧客からは配達遅延のクレームを毎日浴びせられる」というあたりも……)
そんな中、相棒の湊が「自分の知り合いかもしれない」という「違種」がいる場所へ同行してほしい、と言い出しました。
ストリートピアノを弾いているその「違種」が、自分の知っている女性であるかどうか確かめたいのだ、と。
たどたどしくピアノを弾いている、もとはうら若い女性だったゾンビ……。
その様子を想像するだけで、物悲しいものを感じてしまいました。
さらに、中盤から「違種」から見えているらしき世界が描写され、その世界のありようが興味深い。
このように世界が見えるようになってしまったのなら、ゾンビが人を襲ってくるのもしかたないか……と感じてしまう説得力があり。
どこか幻想的、ノスタルジックで美しくさえあります。
タイトルにあるように、「ゾンビはなぜ笑う」のか?
湊と再会した時の、「違種」となった彼女の笑み、それは何を意味していたのか。
その解釈は読者に委ねつつ、切ない終幕を迎えます。
この世界に生きる人々のお話を、もっと読んでみたいな……と思わせる、深みのある物語でした。

『猫に卵を抱かせるな』黒木あるじ
イタリアの秘密結社の首領に「屍者を復活させてみろ」と迫られている主人公・猫斗(びょうと)と茉央(まお)。
茉央は口もきけず、自分では何もできず、生活全般に猫斗の世話が必要な状態の娘です。
ただ、不思議な力を持っていて、死んだ生き物に触れると甦らせることができます。
枯れた花束を蘇生させた茉央に、首領は感嘆し、「一年前に殺された娘を蘇らせろ」と要求。期限は一カ月。
猫斗は気が進まないながらも、爆殺されて粉々になった娘をパッチワークのようにつなぎ合わせ、蘇らせるための準備をしていきます。
そんな彼らを見張る役目となったのは、首領の右腕であるソナリという男。
かなり危険な男ですが、実は大変な映画好き。
一方、ずっと茉央の世話にかかりきりで、一度も映画を観たことがない猫斗。
二人が映画の話をしながら心を通じ合わせていく様子が中盤の読みどころでした。
終盤ではいくつもの秘密が立て続けに暴かれ、さらには怖ろしいカタストロフィを迎えます。
壮絶な終焉、まるで黙示録のようでした。
文章で読むのも面白いけれど、ぜひ映像でも観てみたい……!(誰か映画を作ってくれませんか)
ちなみにタイトルの「猫に卵を抱かせるな」は、イタリアの古い諺だそう。
茉央に屍を蘇らせる力が備わった経緯にも、猫が関わってきます。
民俗学好きなら、ぴんとくるかもしれませんね。

「ESのフラグメンツ」空木春宵
一転、こちらは映像化は不可能?な、文字表現ならではの面白さを楽しませてくれる作品。
かなり驚く紙面構成です。
上段には、死亡した「少女」がゾンビとして目覚め、動き出していく様子が観察記録のように冷静な第三者視点により綴られていきます。
一方、その記録文章に付された注釈として、下段に「少女」自身の心情が語られる。
たとえば、上段「少女は目を覚ました」には、下段に「あ、わたし、死んでるなって直観的に理解した。享年十九、想像より早かった」という具合に。
最初はやや読みづらさを感じたものの、徐々に病みつきになっていくこの構成。とても面白いです。
この世界では、蘇ったゾンビたちは「遊歩者」と書いて、「男性であればフラヌール、女性であればフラヌーズ」と読ませます。
元々はフランス語で「街をそぞろ歩きする者」の意で、この言葉通り、この世界のゾンビたちは基本的には何もしません。
どうやらかつてのゾンビたちは人を襲ったり肉を食ったりしていたようですが、死ぬ前にあらかじめワクチンを打つことにより、凶暴化を免れている様子。
そんな世界のありさまが、上段と下段、全くテイストの異なる文章によって徐々に明らかになっていきます。
そして次第次第に、紙面構成にも変化が。
下段の少女・ミミ美の心情と、彼女が「遊歩者」となってから待ち続けているものが読者に大きく(文字通りに)迫ってきて……。
少女たちの切ない心のつながりが、読後に深く残る一編。
空木さんの、同じくゾンビを扱った名作「徒花物語」(『感応グラン=ギニョル』所収)も再読したくなりました。

「肉霊芝」斜線堂有紀
収録作中、一番怖ろしかった話。
人間の臓器の代わりとなる、巨大な肉の森「肉霊芝」。
こんな存在がいつ、どのようにして誕生したのか? 
それを探るようにお話は現在から過去にさかのぼっていくのですが、ああ、こんな真実は知りたくなかった……。
そして最後まで読んでから、もう一度、冒頭の現在時のお話に戻ってみます。
すると、現在時のお話は「綺麗だねぇ」という登場人物ののどかな声と美しい光景で終わっているのですが……ああ、怖ろしい。
斜線堂さんは「異形コレクション」シリーズでは残酷な中にも甘美さや切なさをたたえた作品を多く書いておられます。
ただ、このお話には一切そういう要素がない……きっぱりと潔く、怖ろしかった。
ちなみにこれまで読んだ斜線堂さんの作品の中で、これと同じくらい怖いな、と思ったのは「ヒュブリスの船」(『NOVA 2023年夏号』所収)です。
ループする、病みつきになる怖さ。また読みたくなってきました。

「ラザロ、起きないで」芦花公園
タイトル通り、キリスト教由来のエピソードがモチーフ。
引きこもりの竜輝が、学生時代に優しくしてくれた女の子・つむぎの死を知り、悲しみで混乱した状態で街へ飛び出していく。
そこで謎めいた美しい青年と知り合い、「ベタニア団地」という場所へ導かれるが、そこで待っていたのは腐敗しきった死体となったつむぎでした。
そんな状態にもかかわらず、つむぎは竜輝と会話を交わすのですが……。
「あなたは信じる人ですね」と繰り返す青年、一見、優しいようでいて会話が上手くかみ合わないのが不気味。
新興宗教の勧誘のようでいて、それよりずっと底知れない場所に導かれてしまい、最後には突き放されてしまう……これもなかなか、救いのないお話でした。
芦花公園さんの作品、主に異形コレクション掲載作しか読んでいないのですが、どれも現実と地続きのようでいながら奇妙に歪んだ世界を描いていて、好みです。

「ゾンビと間違える」澤村伊智
要介護状態となった高齢者や障害者、果てにはホームレスや、家族にとって都合の悪くなった人間まで。
「臭い」「会話が成立しない」といった条件さえ成立すれば、「ゾンビと間違えて」殺してしまった……という行為が横行している世界。
これはフィクションとして、というより、現実の問題として捉えて怖い設定でした。
現実に、障害者施設で「会話が成立しない人は殺しても良いと考えた」と主張する犯人によって、何人もの命が奪われる凶行が起こっているので……。
そしてその事件に対して、「犯人の言うことにも一理ある」といった意見がインターネット上に流れてきてしまう今の世の中なので……。
作者さん自身に、小説に社会性を持たせる意図があるかどうかはわかりませんが、そういったことを考えさせられる一作でした。

「屍の誘い」三津田信三
今回の異形コレクション、切ない話・重たい話・ダークな話が目白押しで(どれも面白いんですが)。
心が上へ下へ、左へ右へと振り回されまくっていたところへ、こちらの「ああ、いつもの三津田テイスト……!」というお話に出会い、とてもホッとしました(笑)
(決して、マンネリだとかワンパターンだとかいう意味ではないですよ)
「光文社の編集者より、いったい何年振りになるのか(中略)執筆依頼が届いた。『異形コレクション』シリーズである」
という、メタ手法を使った導入部分からして「これですよ、これ。三津田ワールドの始まり始まり、ですね~!」と浮かれてしまいました。
そして語られ始めるのが、かつて昭和三十年代に国語教師だった人物が体験した怪異。
民俗学探訪を行っている彼が、ある時、某地方の葬送儀礼を調査に行った時の話。
山の中で迷ってしまい、ようやく辿りついた家には、死人が安置されていて……。
山中での彷徨、道を指し示してくれた謎の人物、暗い家の中に死人と二人きりという状況……じわじわ、じわじわ、と恐怖が盛り上がっていきます。
いやー、怖かった。
そして最後に、ミステリ的な謎は解明されても、どうしても解けない怪異が残ってしまう、というのも三津田作品の定跡。
短いお話なのに、たっぷりと堪能させていただきました。

以上になります。
『異形コレクション』、本当にいつも面白く読んでいます。
今から次巻の発行が待ち遠しく感じてしまう。
次のテーマは、何になるのでしょうか。
想像しながら楽しみに待つことといたしましょう。
(了)




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