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「花屋日記」19. ロマンスグレーのひとの正体。

 私の勤務する花屋は商業施設の中にあり、全体を取りしきるセキュリティチームがいる。毎朝、搬入口で挨拶を交わすが、それ以外ではお客様の落し物や忘れ物を届ける際に少し話すだけの関係だ。店のスタッフの間では便宜上、それぞれ「安倍首相みたいなひと」「メガネのひと」など、勝手なあだ名がつけられていた。
 でもある日を境に、その中で「ロマンスグレーのひと」呼ばれていた人が「モトヤさん」と呼ばれるようになった。彼が休憩時間に店で花を注文してくださり、お名前が判明したからである。

 モトヤさんは口数少なく、配送先の住所をそそくさとメモ書きにして渡してくれただけだったけれど、後日私たちが
「ご注文ありがとうございました」
と声をかけると
「向こうから『かわいいのが届きました』って写メがきましたわ」
と目尻を下げられた。あらためて喋ってみると、けっこう優しいおじさまだった。
 モトヤさんはその後もご家族らしき人に定期的に花を贈っていた。なんの花なのかは説明されなかったが、どんな事情であれ、お相手を大切に思っておられる彼はいいひとなのだろう。

 私たちがモトヤさんと打ち解けてからなんらかの影響があったのか、ほかのセキュリティさんたちも仲良くしてくれるようになった。彼らはいつも監視カメラを見ているからあまり立ち話することはできない。でも母の日の準備などで夜遅くなったりすると、彼らの夜食らしきお菓子を分けてくれたりした。キャンディだったり、チョコレートだったり、ときにはビスケット一袋が差し入れされる時もあった。ある日、搬入口を通りかかると
「岡山に行ってきたから」
とモトヤさんからきびだんご一箱をもらってしまった。こんなふうな形で彼がお土産をくださるのは初めてだった。もしかしたら実の娘さんと私たちを重ね合わせていたのかもしれない。
「セキュリティさんたちのおやつがどんどんグレードアップしていくね」
と控え室で笑いながら、私たちはありがたくそれをいただいた。

 数日後、帰りに搬入口でモトヤさんを見かけたので
「先日はありがとうございました。おいしかったです!」
と声をかけたら
「今日はきびだんごじゃないけれど」
と言って彼は◯二家のホームパイを私にひとつ握らせ、にっこりした。

 このささやかなやりとり、なんともいえない。みんなの小さな気遣いや優しさが、日々を幸せにしていく。幸せって作っていけるものなんだな。あの東京での殺伐とした生活から、なんという大きな変化だろうか。
 私はホームパイを大切にかばんに入れて、それが割れないように気をつけて帰った。こういう夜のことを、私は絶対に忘れてはいけないと思う。

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