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「花屋日記」35. 天に向かって放て。

 鬱が脳の病気だということは、どれくらい世間に知られていることなのだろう? 私は自律神経の影響で2年近く、まったく読み書きができなかった。新聞を読んだり小説を読んだりしても、とにかく言葉が私の脳にとどまらず、一行を読んでも次の行を読むときには前の行の記憶が飛んでしまう。頭の中にもいつも靄がかかったようで、私は自分の思考さえ捕まえることができなかった。
 これまで文章を書くというアウトプットを自分の表現活動の軸にしていた身としては、それは現実的に死にたいくらいショックなことだった。だが、その間にも容赦なく執筆依頼はくる。私はそのたびに「書けない」という説明ができなくて、すごく中途半端な形で仕事をたくさん断ってきた。

 一年前くらいからやっとその症状がおさまって、私は今、物書きとして仕事を再開している。バカみたいだけれど、結局、私はどれだけ壊れても再びそこに戻るんだな、と思った。また壊れるかもしれなくても、それでも。

 本来なら、もう一度記事を書き始めたことを一番に報告しなければならない相手は、前職の上司、スガさんだ。彼女が私を採用してくれたし、誰よりも私の企画をおもしろがってその実現にたくさん力を貸してくれたから。私がズタボロになって編集部を辞める時も
「あなたの才能を必要としてるのは私だけじゃないって、忘れないで」
と言ってくださった。一回り以上年上の彼女だけがあの地獄のような現場で、いつもさりげなく優しかった。
 後から知ったが、その時、スガさんはもう自分が末期がんだということをご存知だったらしい。半年後に彼女が亡くなられてから、私はその悲しい幕切れとどう折り合いをつけていいのか分からず、ずっと宙ぶらりんな気持ちで生きてきた。

 ある日、私は編集部に頼んでご遺族の連絡先を教えてもらい、お供えのお花をお送りした。そして自分がどういう立場の者であるかを説明して、差し支えなければお墓参りに行かせてください、と手紙に書いた。

 それから数日後、夕立の降る街を歩いているときに、ふと携帯が鳴った。その電話を取った瞬間、私は心臓が止まるかと思った。
「もしもし切島さんですか? スガですー」
天国のスガさんから電話がかかってきたのかと思ったのだ。あの話し方、あの空気感。私は一気にそれを思い出して、その場に立ち尽くした。
「もう何年もたつのに覚えてくださってありがとう。妹のところにお花、飾りますね」
スガさんのお姉さまは、明るい声でそうおっしゃった。
「…声が、よく似ていらっしゃいますね」
と震える声で言ったら
「そうですか?でも性格は正反対でぜんぜん似てないんですよ〜」
と笑っておられたけれど、その言い方までがそっくりで、私は泣きながら、笑いながら、そのなつかしい声を聞いた。雨音の中で耳をすませながら、その気配をいつまでも感じていたかった。

(スガさん、私また書いてもいいですか? あなたが認めてくれた才能はまだ私に残っていますか?)
 何年も置き去りにされたままだった感情が急に舞い戻り、あたまが爆発しそうになりながら、私はひとつの確信を得た。

 大丈夫、天に向かって放てばいい。スガさんはそこにいるから。私は書き続ければいいんだ。

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