記事が書けないときに
音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。
noteを徘徊していると
記事が書けないと更新が止まるのは
いいのだけど
落ち込んでいるようにみえてさ(笑)
なんとか必死に皆を巻き込まないように
明るく締めくくるけど
やっぱり気になるよ(笑)
だけど書けない時に無理に書けとか
それでも前を向けなんて言葉は
空気の読めない
熱血正義感に任せればいい(笑)
思うに記事が書けないとき
そのアカウントと自分との間に
乖離があるんだよね
人がいるからさ
誰も悲しませたくない思いから
アカウントは自分の心をおきざりにして
乖離が少しずつ出来ていく感じかな?
実は俺にも結構あって
アカウントを2つに分けた時がある
それはこのアカウントは
何か笑えるものだけにしようかな?とか
それで雑に語れる場所が必要で
アカウントをつくってみたんだよね
何が言いたいかと言えば
きっと俺は迷いなく
書いている人みたいだと思うけど
悩み、葛藤は常にあるんだ
そして気づいてほしい事があって
だから今記事を書いているのだけど
自分とアカウントの隙間を
埋めていけばいいのだと思う
人間だもの
日々何かを感じない人はいない
空が奇麗でもいい
今日は寒いでもいい
たった一言のつぶやきでもいいんだよ
書く事と読む事とはまた違っていて
たったそれだけの事を書いたって
誰かの記事を読むことを辞めないのならば
あなたのアカウントの価値は
劣化することはない
ゆっくりやればいい
実は俺は最高の読み物は
コメントラリーだと思っているんだよね
もともとはチャットが好きで
今日初めて会った人と
最初はさぐりをいれながら
馬鹿話で気づけばずっと知っているような
仲間になっていく感覚が好きだった
その時が楽しい感覚になるのって
相手の文章センスじゃないんだよね
双方向のやりとりだからさ
いや、センスか
だけどセンスって文章力じゃないんだよね
ここでこう返すときに
この一行をつけたら
相手が返しやすいかな?という
思いやりのようなものだと思う
だいたい
記事が書けないとか言い出す人は
この思いやりに溢れる人が多い
良くも悪くも真面目なんだよ(笑)
もっと楽にいけばいい
あなたには待っている人が沢山いる
記事を書く事だけがSNSじゃない
書かない時間もSNSだし
そこは行き止まりじゃないと思う
成長かな
要するに壁なんだ
登り方はきっと人それぞれで
俺の場合は潜ってみたりする(笑)
反則技だけどね(笑)
大丈夫だよ
その記事を書けない想いが
人間らしくて面白い読み物になっているから
何ひとつ失っていないんだ
視野がどうしても
一方向になることがあるだけで
それは真剣に取り組んでいれば
そうなるだけのこと
それはそのまま本気だってことだから
そのままいけばいい
まぁ疲れた時は休みながらね
PS
これからもう現場なので
誤字脱字チェックはまた後で(笑)
それでも出す俺に比べれば
どれほど人想いかね。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?