文章を書く

連投の多い俺からすれば
「文章を書く」は
とても気になるハッシュタグなんだ

で、当然気になるから
それで書いている人を読みに行く
文章の書き方の本を読んだと書いてあって

その内容は肯定的で
内容としてはシンプルに書く訓練
ネット時代においては長文は読まれにくく
シンプルに書く方がいい
みたいなことが書いてあったそうだ

そうだよな?と思いながらも
納得はいかないというか

ん?それってさ。
読み手は読みたくないから
出来るだけ簡潔に書きなさいって
言ってるだけの本だよね?

だけど記事を書いている人は
それをそのまま聖書でも読んだような
開眼ばりで書いていた

でも、消極的文章術じゃね?

そうじゃなくね?
長い文章になっても読んでもらえる事が
技術だったりするわけで
それが文章力じゃないの?と
思ってしまった

よく読書感想を書く人がいる
本を読むことはわるいことじゃない
だけどその書いてる事が本そのままなら
その本を読めばいいだけで
あなたである必要はない

それを読み
共感できる部分もあれば
共感できない部分もあり
疑問に思う面とかなかったのかな?

この本を読んだけど
ここは言ってることは正しいけど
なんか心がうなずかない
どうしてそれをそう思ったのかが
初めて読みたい文章になるかな

それを伝えたいと思う熱量があれば
文章力があろうとなかろうと
その記事は読めるものになる

練習するならここだと思う
どう書くかじゃなくて

何を伝えたいか
どれだけ伝えたいか
考察が浅ければ稚拙だし
熱量がなければ面白くない

大好きな小説家の本ではなく
単にビジネス本とかを読んで
盲目的に信じて
社会に歩幅を合わせた時

ロボットよりロボット以下な
文章ができあがる。

自分が思ったことを
熱量を込めて書けばいいだけ
その繰り返しが文章力をあげていく

売られている本だからといっても
所詮、人が書いている
その事実を忘れてはいけない。

思いあがっていたりもすれば
偉そうだったりする
ただのくそみたいな本もいっぱいある
何故この人はこんな事を書いたのか?
この本を出版したのは
この本が売れると思ったのかな?など
出版背景まで時に考える事がある

だからその分、俺の文章は
何となく読めるものになってない?
著者にしたら余計なお世話だ
と突っ込まれそうなとこまで
いくこともある。

盲目的になっている時点で
どれほど短く書けるスキルがあがっても
読まれる文章は書けないと思うんだ。

#文章を書く

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