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『誰か』にだけ都合の良いエンディングなんてやって来ない。『デデデデ後章』観てきた。

(蛙๑╹ω╹๑ )<野暮な例えなのだけれど、『未知との遭遇』『E.T.』『インデペンデンス・デイ』『アルマゲドン』を、現代のくれいじーな漫画家が描いた作品。

だと思った。

そして、それをよく「観れる劇場アニメーション」にまで作り込んでいる。

「物語が破綻しないよう」に脚本されている。

と思った。

公式サイト

この3人の功績なのだと思う。

特に吉田玲子氏。

あの悲しい結末。
誰しもが大切な人を失ったあのエンディングで、それでも悲しみ以外の感情で泣ける結末に物語を再構成出来るのは本当にすごい。

前章で「漫画版と物語の流れが違う!」とかTwitterでクソリプしてた馬鹿はもっかい原作と前章と後章を読んで観ろ。

265分であのボリュームをまとめあげて、前章を観た客に「後章どうなるの〜!?」と期待させた手腕を素直に褒めろ馬鹿。

カエルが前回、初日に観た前章より、今日の後章の初日の方が客入り多かったぞ。どういう事だよ。普通は減るんだよ。客は。
公開後話題になって動員が増えるならまだしも、前後編は前編での切り客、つまり1話切りする民が一定数いるんだから。

きっと、興収だけの話しなら、前章より後章の方が伸びるだろうと予測する。


(蛙๑╹ω╹๑ )<って言いたくなるくらい完成された『前・後編』作品だった。


やっぱり後章のが反応良かった

金曜初日4000万円。初登場4位。
という事は土日で約2億に届く勢いか。

ちなみに1位は同日公開の劇場版ウマ娘で1.5億。
まあこれは妥当。
オタクの熱量はすごいからね。


リピート構成なの本当に見やすい

前章:現代→過去→現代
後章:現代→過去→現代

でストーリーが構成されてて、マジで観やすい。前章を観た人が多少ストーリーを忘れていようと、後章を観ているうちに前章で観たものを思い出せるようになってる。(細部の補完もある)
特に物語上重要な『おんたんの過去』を解説を入れながらダイジェストで見せ、キャラクター(まこと)に過去を見せるのと同時に観客にもう一度見せて感情移入させる構成なのが本当によい。

カエルを含めた観客の少なくない数がエンディングを迎えた時に泣いていたが、おそらく、泣いていた観客の多くが「過去で門出に取り返しのつかない事をしたおんたん」「現代で取り返しのつかない未来が起こる可能性と門出を天秤にかけ、門出を選んだおんたん」の姿に何故かクるものがあって泣いていたのではないかと思う。

おんたんの成長、とか。
おんたんが異なる時間軸で得たもの、とか。
世界か友達かのどちらかを迫られ友達を選んだ姿、とか。
おんたんにできた好きな人との切ないすれ違い、とか。

なんかもう本当に『エモ』としか表現しえないものに涙していたのかもしれない。
「なぜ泣いていたのか?」と問われ正確に言語化出来る人は少ないのではなかろうか。

しかし1つカエル的に明確なのは、観客が観たおんたんの姿が2回以上の苦しんだ姿だからだろう。
あんなふうなおんたんが、苦しんだ末に選んだ決断に心を震わせた事は間違いない。


あのちゃんといくらちゃん、やっぱ声優上手い問題

前回、

「最初は違和感があるものの、次第にあのちゃんといくらちゃんはおんたんと門出になっていった」

的な事を書きましたが、後章はもう「いや、もうこの二人、普通にキャラクターとして息しているが??」って思った。

どういう事?
最近のアーティストは声優も出来るの?
違和感なんてそもそも無くて、門出はいくらちゃんでおんたんはあのちゃんだったが?

と感じて、改めて思ったのは、

(蛙๑╹ω╹๑ )<アニメを観る上で、声に違和感が無いのってやっぱり大事なんだなぁ

って事。
そんなの数百年前から言われてる事だけど、昨今でもままある「声優じゃない役者がキャラに合わない声を当ててたり、そもそも声の演技が下手」ってのは、それだけで作品の価値を下げてる事に繋がってんだなぁ。


誰が中の人をしようと良いと思うけれど、ちゃんと演技が出来るのか、声とキャラクターはミスマッチではないのか、って所はこだわってほしいなぁって思います。


何人が死んだ?

『デデデデ前後章』を観てない人がこのnoteを読んでいるワケがないという前提で書きますが、

・おんたんの兄と父と犬
・ふたばとマコト
・亜衣と凛の家族
・淫行教師(渡良瀬くん)


少なくともこのキャラクターは最後の爆発に巻き込まれて死んでる。

東京に戻る前だった、おんたん、門出、亜衣、凛、オカ研部長は助かったけど、喪ったものはあまりにも多く大きい。
おんたんにとって、門出と大葉くんが生きてるからそれでおっけーと言うにはあまりに代償が大きい。

これがおんたんが選んだ未来なのか。

と書くと意地が悪いけれど、犠牲者がやたらリアルである。
また、どこかへ消えたオーシャンの連中(政府とか)がどこに行ったのかもおそらくは定かではない。オーシャンやAIを開発した須丸さんは恐らく爆発に巻き込まれて死んじゃったんだろうけれど、という事はAIも破綻してオーシャンも堕ちるか?
憶測の域を出ない。

と、まあ、結論だけ言うとBad Endです。

おんたんは世界と門出を天秤に乗せて門出を選んだし、それに伴う罪の意識を負ったワケだけれど、門出と大葉以外の友人なら犠牲になっても良かったのだろうか。

観ている側としては、「救われない物語だ」という感想を抱いてしまう。
抱いてしまうのだけれど、その反面、あまり悲しくはない。
カエルは悲しくはなかった。
それこそ、おんたんか門出が死んでしまうエンディングだったなら、きっと悲しかったのだろうけれど、そうはならなかった。

ここで1つ気付いたのは、

おんたんと門出には感情移入をさせる脚本と演出になっているのに、その他のキャラクターにはあまり感情移入をさせる描写が無かったのではなかろうか?

という事。
例えば、おんたんの兄ひろし。
彼は高校卒業後ニートの引き籠りのピザに就職しているが、結局、「何で引き籠りになったのか?」は解らない。
それっぽい事は言っていたが、溺愛する妹への冗談めいていてイマイチ現実味のある理由ではなかった。

マコトとふたばの上京組、凛と亜衣の親友組も同じくで、家族や身の上は描かれているのに、感情移入させるような『バックグラウンドの話し』や『キャラクターが抱えている感情』が抜け落ちている。
おんたんと門出の友達以外のパーソナリティは与えられていない。
彼らと似た境遇の人が観れば感情移入できるだろうが、万人が彼ら(とその大事な人の)死を悲しめたかと考えると「そうでもないんじゃないか」と思ってしまう。

結果的に『デデデデ』ではおんたんの決断で、大勢の人が死んで、物語としてはBad Endなのだけれど、抱く感想として「悪くなかった」に収束しているように思う。

バッドエンドでエンディングを迎えるにも関わらず、悲しみ以外の感情でカエルが泣いていたのは、そういう理由からなのではないかと思う。

悲しみではなく、安堵や、報われた気持ちだったのかもしれない。

という事だ。
決して報われていないのだけれど。

しかしそんな結末をして、「面白い作品だった」と素直に思えてしまうのだから、やはりこの3人はすごい。


(蛙๑╹ω╹๑ )<と思う。


……やっぱり、『未知との遭遇』『E.T.』『インデペンデンス・デイ』『アルマゲドン』を、現代のくれいじーな漫画家が描いた作品フィクションだった。

という事だろうか。

(蛙๑╹ω╹๑ )<今度はあまり野暮なたとえにはなっていないと思う。

前後章ご覧になられた皆さんはどんなふうに感じましたか?
良かったらコメントで教えてください。


『デデデデ』に関する感想はこんな感じでしょうか。また何か追記したい事があれば書きます。


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それではまたᐕ)ノシ

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