二十代に自信は要らない?
ある本に僕は否定されたように思いました。
「二十代に自信は要らない」
冗談じゃねぇよ。
自信がないと何も行動しない、その場にとどまっている奴じゃないか。
だから、自信をもってがむしゃらに正しい場所を探し、正しい方法を探し、正しい努力をするんじゃないのか。
そうやって二十代を走ってやろうと思っている中で、この本に出会った。
その本が言うには、
「自信がないから勉強しようと思える。自信がないから人の優れた部分が見える。それを真似ようと思える。盗もうと思える。改良したいと思える。自信がないからこそ、目の前の相手を笑わせたい、喜ばせたいと思う。自信がないから動こうとする。その過程で痛い目、酷い目に遭うでしょう。でも、その失敗の知識と経験の総体が才覚となり、不変の根拠となり、不動の自信となる。」
行動の起源は、自信がないことからことからくる。
たしかに、自分が変わろうとしたきっかけは自分に自信がなかったのも一理あるのかもしれない。
周りの人に、「自信満々だね」、「自信あるね」と言われます。
「俺に任せろ」、「やってみせる」とたしかに弱音はあまりはかないようにしている。
自分は、自信があるやつを装っていただけなのか?
自信がある方がいいと思ってやってきたのに。
1年前の自分とは確実に変わった。
その変化は、自分の成長につながった感覚は全身で感じている。
これまでにないくらいの充実感や楽しさが自分を変えていると。
誰よりも学び、誰よりもいい出会いをした、誰よりも成長できている、そう感じているうちに自信に変わってきた。
自分が自信満々な人に憧れたわけでも嫉妬したわけでもない。
ただ今までにやったことないことをやったり人生そのものを楽しんでいる間に、自己肯定感が上がり、それが自信につながっている。
自分の目指すもの「BIGになる」
これを掲げ世に公表し始めたとき、「自分は何を言っているんだ、恥ずかしくないの?」と思うことは何度かあった。
はっきり言って、自信はなかった。今もない。けど、「絶対なってやる」という気持ちはどんどん大きくなってきている。
自信がないから、暴れられているのかもしれない。
たくさんの失敗をこれからしていくだろう。
自信がないことを自分が一番知っていて割り切っているから、その失敗ひとつで自信を無くすことはないと思う。
若い人の心は弱い。
小さい壁が大きく見えてしまう。
見えた途端諦め自信喪失。
挫折の経験がないとそうなってしまう。
仕方のないことだろう。
だから、自分に自信がないことを理解してあげる。
自信がないことに自信をもって。
それが二十代の自分を大きくしてくれるのかな。
自信がない自分とまずは向き合え。
目をそらすな。
そして、それが嫌なら動け。止まるな。
これは、二十代だけじゃない。
おっさんでもおばちゃんでも一緒じゃないだろうか。
自分のことを見放すな。
そして、死ぬときに自信満々な顔で死のうや!
では、また!👋