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15年の時を経たとしても、まっさらな気持ちで作品を読みたい

先日、初めて湊かなえさん「告白」を読んだ。

中学校の終業式の日に行われたホームルーム。

愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺されたからです。

告白/湊かなえ

幼い娘を校内で亡くした女性教師が放った衝撃の告白によって、騒がしかった教室は一転して静まりかえり、異様な雰囲気をまとったまま、物語は幕を開ける。

彼女の告白によって火蓋ひぶたが切られると、それぞれの章でクラスメイト犯人犯人の家族と語り手を変えながら、しだいに事件の全容が浮き彫りになっていく。

語り手となった者たちが吐露する感情には、戸惑いや後悔、憎しみ、妬みが入り混じり、彼らが発する他愛のない一言には、心の底から抱く切実な願いが込められていた。

ただ、作品を読んでいて何よりも恐ろしいと感じたのは、物語の主要人物たちの過激な行動でもなく、あまりにも冷酷な復讐劇でもなく、事件にかかわりのない周辺の人物が放った無造作でさりげない一言だった。

他意のない、しかし悪意に満ちた一言は、一滴の黒いシミとなって、どれだけ洗い流そうとしても消えずに染みついたまま、物語を読みおえた今でも、脳内にこびりついている。

これまで読んできた湊かなえさんの作品に存在する、有象無象に思えた登場人物たちが突然、豹変して悪意をまとって立ち塞がってくる感覚。

その原点となるものを
この「告白」の中に、見た気がした。

この作品が出版されたのは2008年。
今から15年も前のことだと知って、まず驚きを隠せない。

出版された翌年となる2009年には本屋大賞を受賞し、2010年に松たか子さんが主演となって公開された実写映画は、より一層「告白」という作品を世に知らしめることになった。

もちろん、これほど話題となった作品なので、タイトルやあらすじ程度は記憶にあった。

それでも、なんとなく興味は持ちつつ、「イヤミス」というジャンルが当時はあまり得意ではなかったこともあり、作品を手に取ることはなく、映画に関しても、冒頭にある松たか子さんの独白シーンを予告映像でしか目にすることはなかった。

しかし、自分も15年前から大人になって、湊かなえさんの本を手に取るようになり、当たり前のようにその作風の虜になった。物語に没頭しすぎて、時間を忘れて読みふける夜もあった。

そんな背景もあったなかで
今回、初めて「告白」という作品を読んで思ったこと。

この作品をまっさらな気持ちで読めて本当に良かった。

15年の間、何度も作品の根幹に触れる機会はあったし、現代のネット社会にはいくつもの「ネタバレ網」が張りめぐらされていて、いつ何どきその網に捕まってもおかしくはなかった。

もっと言えば、読むタイミングを無くして、永遠に作品に触れることなく、存在を忘れてしまうことだってあったはずだ。

それでも、15年経った後でも、新鮮な気持ちでこの本を読むことができたこと。

多少の先入観はあれど、ストーリー展開に振り回されながら、驚きをともなって、この作品を読了できたこと。

それは、とてもかけがえのない経験で、ネタバレなんかで簡単に失ってはいけない感情だと、あらためて実感した。

きっと作品に出会うタイミングは人それぞれで、自分の境遇や年齢によって読後感も変化していくのだろう。

だからこそ、どんな作品に対してもまっさらな気持ちで、これからも向き合っていければいいなと思っている。

ちなみに余談だけれど
この「告白」は湊かなえさんにとってのデビュー作らしい。

信じられない。
あまりにもセンセーショナルすぎるデビューだ。

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