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書く仕事がしたいから「書く仕事がしたい」を読んだ

「書く仕事がしたい」と思うようになったのは
noteがきっかけだった。

といっても、初めたての頃からそういう風に思っていた訳では決してなく、ただただ頭の隅っこにあるモヤモヤとした疑問や考えを言葉に起こしたいという漠然とした気持ちが溢れたことが理由だった。

実際、noteを始めてみると「文章を書く」と言うことは思っていたよりもずっと身近なもので、すんなりと日常に溶け込んだ。

ただ、そうやって自分の好きなことや思いつきをnoteに綴っていたなかで「書くこと」に対する意識が変わったのが去年の12月頃。

ある日、自分が書いた好きなアーティストの歌詞についての記事を読んだ音楽雑誌の編集の方から「エッセイのようなものを書いてほしい」と連絡を受けたのだ。

それまで「文章を書くこと」は趣味の延長線上のようなもので、あくまで日常の傘の内側で行われていた出来事だった。

それが、急に日常の傘の外側へと放りだされて、見通せないほど遠くの方まで自分の書いた文章が飛んでいってしまった。

結局、色々あってその雑誌で文章を書くことは実現しなかったのだけど、その日を境に、自らの手で書いた文章が「仕事」へと繋がることがあるのだと、じわじわと実感するようになった。

ただ、だからと言って、すぐに「文章を書くこと」を仕事に出来るわけもなく、身の周りに書くことを仕事にしている人もいなかったので、どのような手順を踏んでその道を進んでいけばいいのかについては、さっぱり分からないままだった。

そんな悶々としていた日々を過ごしていた中で出逢ったのが
佐藤友美さん「書く仕事がしたい」と言う本。

何よりも惹かれたのは
「この本は、文章術の本ではありません」と言う文言だった。

「書く仕事」についての本なのに
「文章術」の本ではないと言う。

では、どのような本なのかと言うと「書く仕事をしている人はどのような人なのか」「どんな生活をしているのか」どうやって仕事を続けていくのか」と言った、書く仕事を志すと決めた人が「知りたいけど知る手立てがなかったこと」について主に書かれていた。

書く仕事がしたい。でも、どこか現実味がなくて、手の届かない雲の上の存在だと感じている。

そんな人たちにとって、この本はちゃんと自分たちと同じ地面に立って「書くを仕事にしている人」がいると実感させてくれるものだった。

この本の中で「ライターとは、日本語を日本語に翻訳する仕事」という記述があった。

この「翻訳」という言葉が
自分の中ですごくしっくりきた。

自分がnoteに書いている文章は、どれも風が吹いたら飛ばされてしまいそうな思考のカケラを必死にかき集めてできたようなものだ。

それはおそらく「創作」でもあるのだけど、決してゼロから物語を生みだしている訳ではなくて、自らの記憶や思い出、体験、出来事、見てきた景色や聴いてきた音を文章へと「翻訳」している。

実際、ライターはインタビューをした相手の言葉を、自らの頭と手と言うフィルターを通しながら「翻訳」していくことになるので、決して全く同じ意図で使われている訳ではないのだろう。

でも、自分は「創作」と言う言葉よりも「翻訳」と言う言葉の方が、自分の中の感情や想いがしっかりと「文章」という「型」に流し込まれていて、より細部まで表現されている気がするのだ。

この「翻訳」と言う言葉以外にも、佐藤友美さんが選ぶ言葉には自分の中でしっくりくるような表現が多くて、一つ一つの言葉の選び方に共感しながら読み進めていた。

また、普段、仕事と無関係で文章を書いている人にとっても、共感や納得を感じられるような内容が詰まっていたように思う。

特に「視点と視座」のついて語られた章の内容は、これから書くネタを考えるときには必ず意識するようにしようと思うほど、ものすごくロジカルに分析されていて興味深かった。もちろん、実践あるのみ。

この「書く仕事がしたい」と言う本を読んで
いの一番に行動に移せること。

それはきっと
「書く仕事がしたい」と周りに宣言することだ。

なぜかという理由については、ぜひとも著書を読んで知ってもらいたいのだけど、自分からしてみれば「灯台下暗し」だった。

だから、ここに記しておく。

自分は「書く仕事」がしたい。
これからずっと「文章を書く」ことに寄り添いながら
二人三脚のように走っていきたい。

知らないことは全部知りたいし
知っていることはもっと深掘りしていきたい。
興味の振れる物事に対して、貪欲に学んでいきたい。

改めて、そう思わせてくれる作品だった。
読めてよかった。


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