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「いだてん」の吹越満の使い方(ウサギノヴィッチ)

 遅くなりましたが、大河ドラマの「いだてん」が終わりましたね。
 視聴率は史上最低によくないみたいですが、ネットでの反響はよかったなどとYahooかどっかの記事で見ました。

 ぼくはnoteで語ったような気がするけれども、今、自分のマガジン探したけど見当たらないから、もしかしたら「好奇心の本棚」で語ったのかななんて思って見た。ただ、探すのは面倒臭い。いや、今探したがなかった。
 だから、今から話すことは、初めて書くことなのだろう。
 ぼくは、何度もぼくの中では言っているようなことなのだが。これがデジャビューというのか、ただのボケなのかわからないが、そういうことで、自分の中で新鮮味がないところがある。

 さて、今回の大河ドラマ「いだてん」だが、結論から言ってどうだったか?
 ぼくの中はでは、最終的には満足する作品だった。
 最初のうちはヒヤヒヤしながら見ていた。クドカン脚本らしくなく、ギャグの少ない、真面目なドラマだったからである。あと、金栗四三編には自分にとっては合わなかった、興味がもてなかったというのもある。
 田畑政治編になってから、政治が絡み、物語が複雑になるので、物語に興味が持てて来ました。あと、阿部サダヲという役者と周辺も段々とクドカンファミリーになっていって親近感的なものが持てるようになったのかもしれない。

 ただ、ぼくはこの二人に感動を覚えたわけではない。「いだてん」の影の主人公というべき人物がいることを大きく言いたい。
 それは古今亭志ん生だ。
 金栗四三と田畑政治のことを語りながらも、古今亭志ん生の人生までもが語られている。
 いや、それこそが中心におかれているのようにも感じられる。
 二人のメインの中で、細かな伏線を張って、古今亭志ん生に結びつくようになっている。
 一話丸々、志ん生の回もあった。
 「富久」という落語が満洲で化けるという話だ。
 落語を聞いた将来弟子になる子供の父親が、日本に宛てて「志ん生の富久は絶品」と書いて手紙を送った。その後に、ソ連兵士に撃たれる悲しい話だった。そのことについては志ん生は知らない。
 ぼくの勝手の印象だが、クドカンが一番書きたかったのはここなのではないだろうかと勝手に推測した。

 最後に、最終回は、東京オリンピックの開会式を重点において、開催期間中のことをざっとやった。お祭り感のある感じがあって、ゲストとも言っていい、役者がちょい役で出てた。市川崑役で三谷幸喜が出ることは予定されていたが、ぼくが驚いたのは、聖火リレーの並走するサイドカーに乗っている係員の役に吹越満が出たことが。このとき、食事をしていたのだが、食べる手を止めて、「あっ、吹越だ」とまあまあ大きい声で言ってしまった。ぼくは思わず微笑んでしまった。あと、タクシーの運転手役にクドカンが出てたけど、これはおまけ感があったような気がする。それより、吹越の存在感が勝った。

 そんな感じで、ぼくの大河ドラマ「いだてん」は終わったのでした。

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