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久世物語③【創業期】事業基盤の構築

2024年、当社は創業90周年を迎えます。
語呂合わせで『クゼ』と、まさに久世の年。

90年という長い歴史の中には創業者や諸先輩の苦労や血の滲むような努力があります。
どのような思いが受け継がれてきたのか、私たちがどんな会社なのか。
「久世物語」をお届けいたします。

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【第3回】事業基盤の構築

ターバンブランドの登場

 高度経済成長を目前に控えた1950年代初頭、久世商店はトマトケチャップ、ウスターソース類の製造販売が事業の軸であった。この時期、食品メーカー各社から固形や粉末のカレーが発売され、福松もウスターソースの原材料であるスパイス類を活用したカレー粉の製造に着手する。

当時の社員数は、14〜15名。製造を担う工場長はいたものの、数十種類のスパイスの選定、ブレンドなど商品開発はすべて福松が一人で行っていた。研究熱心でカレー粉に使うウコンの香りを確かめているのか、鼻の下がウコンで真っ黄色になっていることもあったとか。

試行錯誤を重ねた末、1953(昭和28)年、ついに「ターバン印」のカレー粉が発売される。そして、それまでのソース、ケチャップなどのブランドを「ターバン」に統一し、製造会社としての久世商店を長きにわたって支えるオリジナルブランドが誕生した。

ターバン印のケチャップ
その他にもソースやソフトパン粉などが販売され「久世といえばターバン」のイメージが定着


日本初の「エダム粉チーズ」を販売

 福松は誠実で生真面目な性格から、食堂やレストランへの売り込みの際、仕入れた食材をただ卸すことはしなかった。お客様の負担を減らしながら、美味しい料理を提供するにはどうしたらよいのかを一緒に考えるスタイルで営業を行っていた。
これは同時に、理系出身の研究者肌、かつアイデアマンだった福松の本領が存分に発揮されることにもつながった。

 例えば、当時のレストランではケチャップやソースはコックが手作りするのが当たり前。いくら売りこんでも「ケチャップなんてうちで作るからいらないよ」と相手にはされなかった。
しかし、福松は熱心な営業活動の中で、コックたちにとって鍋につききりで作業しなければならないケチャップ作りが大きな負担になっていることを感じていた。

そこで、出来合いの商品を売るのではなく、指定の原料、レシピを使い、同じ味を提供することを提案したのである。
福松のこの申し出は結果的に大いに歓迎され、これ以降、深い信頼で結ばれた大きな取引へとつながっていくことになる。

 また、この頃に発売され、大ヒットとなった「エダム粉チーズ」も、福松のアイデアによって日本で初めて製品化されたという。

当時、カレーに次いで洋食の代名詞だったのはスパゲティー。その上にかける粉チーズはイタリアのパルメジャーノが定番であるが、貿易自由化前は入手が難しかったため、代わりにエダムチーズが使われていた。
通称「赤玉チーズ」と呼ばれ、オランダのエダム地方で作られるエダムチーズは熟成期間が長く、硬いワックスで表面が覆われている。
粉チーズを作るには、コックが手作業でワックスを削り、すりおろさねばならなかった。

営業担当や配達の社員が納品の際に厨房ですりおろし作業を手伝っていることを知った福松は、こけしを作るために木を削るろくろ機や、コンニャクイモを削るグラインダーをヒントに、チーズを削る機械を考え、町工場の人と一緒に作製した。
そして、ケチャップ工場の一部をチーズ加工室に改築し、エダム粉チーズの製造を開始したのである。

これにより、ピザの普及に伴ってシュレッドチーズの需要が高まった時も、他社に先駆けてシュレットチーズの製造を開始し、お客様の要望にお応えしシュレッドチーズを提供することができた。

 福松が何よりも重視したのが、厨房のニーズを的確にくみ取り、商品へ反映させるということ。足しげくお客様のもとに通っては、コックたち話に耳を傾け、商品づくりに生かす福松の姿は、仕入先、取引先双方の信頼を獲得し、「久世さんに聞いてみれば何とかなる」といわれる存在となっていった。


(次回につづく)
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