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久世物語② 【創業期】戦中戦後の苦労

2024年、当社は創業90周年を迎えます。
語呂合わせで『クゼ』と、まさに久世の年。
 
90年という長い歴史の中には創業者や諸先輩の苦労や血の滲むような努力があります。
どのような思いが受け継がれてきたのか、私たちがどんな会社なのか。
「久世物語」をお届けいたします。

第1回はこちらからご覧ください。


【第2回】戦中戦後の苦労

空襲で社屋と工場が全焼

 久世商店がケチャップやソースの製造を本格化し、軌道に乗り始めたころに太平洋戦争が勃発する。戦費の支出は、とどまることを知らない物価の上昇を招いた。体が丈夫でなかった福松は兵役を免除されたものの、地域の消防活動など自衛の務めに忙殺された。従業員の多くが出兵などで戦争にとられたことで人手が足りなくなり、久世商店も開店休業の状態を余儀なくされた。
久世80年の中で唯一の空白の時代である。
さらに、1945(昭和20)年4月の東京大空襲によって、豊島区全域が焼け落ち、工場も自宅も全焼した。

1945年東京大空襲跡の大塚駅

ゼロからのスタート

 戦後、すべてが焦土と化す中、福松は精力的に久世商店の復興に取り組んだ。苦労の甲斐あって、1年後の1946(昭和21)年に社屋を再建。翌年には工場を建て、ケチャップ、ソースの製造販売を中心にして業務が再開された。
そして、福松を先頭に従業員が一丸となって奮闘し、デパートの社員食堂やレストランなど、戦前よりも大規模な取引先を次々と開拓した。
久世復興の最大の原動力は、やはり人との絆、信頼だった。
取引先に対しては、どんなに商売が厳しいときも、決して期日に遅れることなく代金を支払った。従業員に対しては、何よりも本人と家族の生活の安定を気遣った。後に食堂がつくられるまでは、従業員のために福松は自宅を増築して食堂を設け、妻の美喜がご飯を炊き、料理を提供した。家族と離れて単身で仕事をする社員のためには、自宅の敷地内に小さな家を建てて住まわせた。

 誠実な商売を続ける福松に、時代も味方した。戦後、経済の復興とともに洋食文化が急速に広まっていく。スパゲティーやコロッケ、ハンバーグなどの日本人の口にあうようアレンジされた洋食西洋料理が増え、それはウスターソースやケチャップの需要の増加に直結した。

 戦後、福松は仕事を再開するにあたって「再建の誓い」を書き記している。
①銀行は貸してくれないからアテにしない
②親戚には一切資金の援助は請わない
③仕入先には絶対に迷惑をかけない
小さいころから貧乏な家で育ったゆえに、お金の尊さを肌で知り、この近いにもその苦労が滲み出ている。

(次回につづく)
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