くユり
24歳、夏。正確に言えば25歳の年、夏。 私は夏生まれでもうすぐ誕生日を迎える。 今の私は自分がどの状態なのかがイマイチわからない。ただ明らかに疲弊していて自分の輪郭が崩れ始めてる予感だけを感じていた。 1年前に5年働いた最初の仕事を辞めた。 面白そうな経験ができそうだと全く別の職に就いた。 そこでは凝縮された日が目まぐるしく過ぎ去っていった。経験として珍しい体験や楽しい経験もした。けれどそれらは濃すぎて私にとって毒になりはじめたのだと思う。 崩れてから綺麗に復元する
久しぶりの海を見た 感じた しっかりと波が満ち引きをしているのを目の前で体で感じた 波の音は心地よさと時々少しの恐怖感を与えてくれる 海岸を少し歩いた ここは砂浜ではなく河原にあるような手の平サイズの石が敷き詰められたような場所だ 岩場と砂浜の間のようだ 少しゴツゴツとするが座り込んでみる 姿勢が安定する場所を見つけるとともいい気がした 砂浜のように砂まみれになることもなく岩場のように痛いわけでもないこれは発見である 波の音にも慣れて落ち着いたので寝転がってみる 空にはところ
深夜の新宿 24時間の喫茶店 珈琲一杯の値段は少し高め 席は多い 中央の席に案内される 両隣に客 右側はイラスト?を描く肩まで伸びた髪が硬そうな男 左側は髪色がシルバーの若い2人組 たぶんホストか何かだろう 彼らの顔は一般男性よりもいくらか白く美意識を感じる 服装はズルッとしたジャージのような物 そして厚底のスニーカー ここから私の闘いが始まる 夜明けを待ち 眠気と退屈のせめぎ合う時間
最近は旅行記やただ見たものを書き留めたいと思った 感情的な言葉を使わなくても何かが感じ取れたらいいな
公園横にあるカフェ 日曜日の朝 コーヒーを飲んだりモーニングメニューを食べる客 カップルの二人 休日の朝に旅行先の相談 結婚式の場所決め 少しだけ険悪な雰囲気 未来を見据える女 過去を持ち出しそこはそんなに良くないという男 外は雨が降っている 筆で描く線の様な雨 まるで意図した演出のよう 日曜日はまだ長い
都市を歩く。 そこには様々な息づかいが存在している。 利便性を求めながら一時の加速と停滞を作り。左右に聳える建物が私を圧迫する。所々に緑。不自然な緑。直接と曲線。あの街とこの街は似ている。嵐がそろそろ来るらしい。洗われるのは街か心か。行き過ぎた見栄の具現化。都市と私達は混ざり合うことができているのか。
世の中の人は高確率で恋愛してて凄いな 尊敬する
桜よりも白木蓮
貴方の持ち物で失ったら悲しい物は何? これは友人に聞かれた質問(人・概念的な物以外) 大切にしてる物はいっぱいあるし、手にする物はかなりのこだわりを持って選んでいると自分で思っている。けれど私は執着が無いのだと気付かされた。物欲はあるし手にしただけで満足する様な買い物はしない。使って自分に馴染ませて、そして壊れてしまうならそれでいいと思うのだ。出会いは別れの始まりそれは全ての事に通ずる。物を失うか私を喪うか表裏一体。そんな気がする。 物って何だろう、所有するってどう言う
今回はかなり脱線する予感。感じた事を綴るだけなので脈絡はないのでご容赦ください。 私は最近ダンス・踊りといった身体表現がとても気になっている。今は芸術的要素が強いが歴史を辿ればそこには祈りや伝承がある。伝えようとする意志を感じる。 完成があるようで無いような、永遠に続けようとすればどこまでいける気がするそんな表現。 必要な物は身体一つ。とてもシンプルでそれが根源的で美しい。 映画の中で田中泯さんは踊りとは考えることだと言っていた。たぶんだが私はそこに惹かれているのだろう。
やっと、ついに、等々、探していた場所を見つけた気がする。それは映画を話せる場所。 映画は好きな方だと思う。今の若者は映画館で集中力が続かないだとか、まず映画自体を観る人が減ってるだとか言われている。その中で考えればそこそこの映画好きと自称してもいいのではと自分に言い聞かせる。 映画を観て、感想は自分の中で完結する。それが今の私の普通だ。周りの人はあまり映画を観る人が多くない、しかも私が観たい作品が少数の映画館でしか公開されていない事が多いのです。本当は色々な人と感想を話し
今年初の美術観賞は東京都現代美術館で開催された「ユージーン・スタジオ新しい海」 想像力の広がりを感じさせる展示だった。 規模の大きいインスタレーションから細かな作品多数の想像へのアプローチがとても良かった。 これは人と話して感じた事だが境界線が曖昧に感じる作品が多いと思った。現実にありながら観ている物に現実感が薄い感じがする。 レインボーペインティングの作品はランダム性とキャンバスの大きさ、作品数を考えると時間と集中力がとても必要な作品だと思う。もしも限られた時間であれを1
去年の映画始めは1月1日だった。品川で深夜1時くらいから映画を観た覚えがある。何だかいいスタートが切れた気がしたので2022年はスロースタートだが好きな作品から始めたいと思ったら「ドライブ・マイ・カー」これしか無いと思った。 映画全体的に素晴らしい作品だと思うのだが私は車の中で煙草を吸うシーンをもう一度観たくて足を運んだと言える。 1回目観た時は映像美と劇中劇的内容にとても没入感を覚えた。2回目は原作小説を読んだことにより脚本の素晴らしさを感じることができた。 原作だとSAA
2022年は演劇やダンス、歌舞伎能などの古典的な物も鑑賞したい。写真に関して言えば自家現像手焼き、大判カメラの本格使用を目標にしていきたい。あとはスコーンを綺麗に食べるも目標。 2021年は何だかんだ言いながらできる限りの充実感を得れたと思う。観賞や経験を多くしてそれで満足できた。 しかし段々とその感動も感情も薄れてくる。 2021年今までの人生で1番多く知り合いができて、1番多く映画を観た年だった。 映画は45本観た。この経験が薄れ行くのはとても惜しいがもう思い出せない事の
今のあなたの人格に多くの影響を与えた時期や人を覚えていますか? わたしは今度割合多く影響を受けたかつての友人に会うことになった。 あの時期の友人とはあまり会いたいくないのだけれども決まってしまったものは仕方ないと受け入れて楽しんでやろうと思ってる。どんな風に成長して変わったのか観察しようと思う。 7年?ぶりに会うらしい。正直に言って私はその人の事が苦手だ。なぜ苦手なのか自分でもよくわからないのだ。印象は真っ直ぐな人間だった。それがそのまま成長したら本当に嫌いになりそう。け
自分の気持ちを思い出せるように 今を定着させようと言葉を選んで 日本に生まれ 日本語を使う 音の羅列そこに意味を見いだされた物 そこに疑念を懐く人は少ないのかもしれない しかし何だか色々考えると気持ち悪い これは眠れる神か悪魔か 生まれながらに刷り込まれる 無の信仰 普段読む記事だって身になりそうな内容のある物を好む自分が 書いてるのは空っぽで意味がなくて 雰囲気 響きだけが 自分の優先事項 結局これも日本語か。