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善く生きる人になりたいのは、インタビューに出会ったから

大勢の人から小石を一斉に投げられそうなくらいに「遅い」のだが、先日Netflixで『クィア・アイ』を見た。そして、はまった。

妻がおすすめしてきて、途中のエピソードからぼーっと見始めた。そして、ものの10分で魅了されたのだった。語りたいことばかりだが、今日の本題は『クィア・アイ』ではないため詳細は割愛する(というか、先日まで詳細を知らなかったのは自分だが)。

『クィア・アイ』は、5人の「ファブ5」と呼ばれる人たちが中心となって、一般の人たちを変身させていくドキュメントだが、僕は何に惹きつけられているんだろうと考えると、
設定よりも何よりも、
この5人の人間性に惹きつけられていることに気づく。

乗り越えてきた困難、自信の中に消化した苦しみや不安、他者へのまなざし、自分を愛すること、今日を楽しむこと、そして「人とは」「人生とは」について考えることを止めないこと。5人を見ていて直感的に頭に浮かんできたのは、こんなバラバラの言葉。

一言でいうと「善く生きようとする人」。

🐕

最近、強く思うのはインタビューを仕事にするからには、自分自身も「善く生きようとする人」になる必要があるということ。それは強制の響きを含んでいるように聞こえるだろうか。でも、強制ではない。むしろ逆で、別にそんなことを考えなくてもインタビューはきっと滞りなくできてしまう。でも、その必要性を感じない人のインタビューが、誰かの心を動かすのだろうか……とどこかで思ってしまう自分がいる。

問いかける側はきっと試されている。
その人が、どんなまなざしで
人を、そして生きることを見つめているかを。
成功と失敗について、
どんな考え方を持っているのか。
だれかの挑戦を、
自分の挑戦と重ねて感じることができるかを。

『クィア・アイ』を見ていて、
この5人がインタビュアーになって
だれかの話を聞きに行く企画があれば
僕は絶対に見るだろうと思った。
いや、世界中の人が見たいと思うだろう。
それはきっとこの5人の人間性から来ている。

日々、「善く生きようとしている人」が
誰かに会って、そこで抱いた素朴な疑問や
あるいはずっと考えてきたテーマを
そっとその場に差し出すとき、
それはきっと「本物」なのだ。
「対話」からにじみ出るのは、
きっとその人の生き様なのだ。

🐕

こんな風に考えるようになったのは、
インタビューに出会ってから。

でも自分はまだまだで、
だから日々のすべてを
その糧にしたいと思う。

22/02/13



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