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彼はひたすら山頂での眺望を得たくて登山を試みた

インタビュー記事の執筆をしていると、異分野の人のお話を伺うことも多いので、新しい言葉や概念と出会うことが頻繁にある。

今日は「アルピニズム」という言葉と出会った。

なんとなく耳にしたことはあるが、詳しいことはまったくの無知だった。でも意味が分からないと書き進められない。そこで検索してみると、こう書かれていた。

近代的なスポーツ登山のこと。登山一般を意味することもあるが,厳密にはより難易度の高い,高度な登山技術を必要とする登山のことを意味する。ヨーロッパ・アルプス地方の高山の,初登頂をめざす登山が盛んに行われるようになった19世紀後半に,このことばが生まれた。もともと山には神が住むとか,魔物が住むとする民族が多く,一般的には山に近づくことを忌み嫌っていた。もし山に登るとすれば,信仰目的か,戦闘目的か,あるいは,動植物の狩猟採集や鉱物資源を採集する人びとに限定されていた。しかし,ヨーロッパ近代の精神は,神々の呪縛(じゅばく)から人びとを自由にするとともに,山に登ることそのものに限りない喜びを見出す近代登山に道をひらくこととなった。

引用:コトバンク

19世紀後半までは、高山はなんらかの目的(信仰、戦闘、狩猟、資源採集さど)を果たすための手段として考えられていて、かつその機会は限定的だったという。

これを読んだとき、「アルピニズム」は手段を目的に変える認知的な革命だったんだなと感じた。以降、手段としての登山が、登山そのものが目的となったといえそうだ。

先駆けとなったのが,イタリアの詩人ペトラルカであった。彼は1336年,南フランス・プロバンスのバントゥー山(1912m)に登り,その時の感動を書簡にしたためた。その書簡によれば,彼はひたすら山頂での眺望を得たくてこの登山を試みた,という。

引用:コトバンク

先駆けとなったペトラルカという人は「ひたすら山頂での眺めを知りたくて」登山を試みたという。なんか、いいなぁ。ペトラルカさんと友達になりたかった。

レジャー登山が広く一般化した現代の感覚で聞くと、しごく自然な動機に思えるが、当時の人たちからはきっと理解されなかったろう。なんせ、それ自体が目的になるなんて考えられなかったのだから。

例えば、生きるための手段であった「食べる」という行為が、「趣味:グルメ」と言われるほどに、それ自体が喜びをともなう目的として語られるようになったことも、似たようなケースなのだろうか。

それで言うと、インタビューはまだまだ何かを達成するための手段で使われることが多いけど、それ自体がおもしろくて、登山のようにみんなやりたくなっちゃうような行為に変わっていったらいいなぁ。その未来のアルピニズム的インタビューはどんな姿をしているだろうか。

地味にツボなのが、ペトラルカさんが「詩人」だったこと。ただ山頂からの眺めが見たくなった気持ちには幾分かの詩情も含まれていたのだろうか。「詩」も人間の歴史のどこかで、一部の人のものから、みんなのものに変化したタイミングがあったとのかなぁ。

22/06/22


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